152mmだったazub origamiやよい号のクランクを170mmに戻して嵩山登ったんだけど…人間の記憶とは。

周防大島に向かう途中、柳井を通ってると金魚ちょうちんだらけでした。

周防大島と言えば嵩山。神楽坂つむり氏のブログ読めばこの屋代富士を登らねばならないのだ。この日は8月8日まで県道101号線が通行止めのためオレンジロードから登ります。

つむりさんが紹介する激坂だけあってキッツい。マジ。しかし通行量が少ない割に落ち葉や枯れ枝の状態は良く、路面状態が酷い部分も少なかった。これは同じ周防大島の文珠山の、もうホントに路面状態も枯葉状態も悪い、あまつさえラストはダートなクソオブクソ坂を避けてこっちの坂を紹介するつむりさんは正しい。そんな激坂をやよい号は170mmクランクに戻したおかげで昔の感じでガシガシ登れた…が、自分でもビックリなのが「恐怖心」が芽生えていたこと。4月にコンパクトクランク導入前後からこうした激坂を登っておらず、リカンベントの姿勢で170mmクランクでガシガシ前に進む感覚を忘れていたのだ!その上このコース、いくつかある斜度があるヘアピンカーブを路面状態とか枯れ枝とか言い訳なしに処理するのが攻略ポイントのテクニカルコースなので余計ツライ。登り始めて18分ぐらいでサイクルシューズの踵が完全に脱げるぐらい451のveeタイヤと接触するかなりお間抜けなヒールキックも起こしている。日陰が多い坂なので体力は十分あるのに精神的なものからくる違和感が技術力不足を引き起こしているのは悔しい。ていうか貴重な体験。これはなんですか、人間の脳ってのはわずか数か月で登坂の記憶や経験が失われるんですか。

やはり登坂するなら170mm。152mmなんて超コンパクトクランクで挑むものではないと結論が出たところでraptobike美希号であるが170mmのクランクについたビンディングシューズでタイヤの外周どころかXTのRDを何度も蹴っ飛ばしてるので152mmで行こうと思う。今回のazub origamiやよい号みたいに行程中、激坂を前にシート角の調整もできないし。

冒頭の柳井での写真と比べてシートがかなり立っているのが分かるやよい号。それにしても天気が良く、暑い。そういえばオレンジロードからの出発時、目が痛くなるぐらい虫よけスプレーやったのがバカバカしくなるぐらい「メマトイ」がほとんど現れなかった。先週の津和野への山道も思い起こせば同じく虫が少なかった。そういえばセミの声も聴いた記憶がない。

眺めもまあまあ。つむりさんのブログ写真で見たパラグライダーの出発台はしょぼかった。あとchineseに占領されたという笠佐島は文珠山や嘉納山があってこちらからは見えない。最近呆れたのは「石破辞めるな」デモを東京の左翼や共産党や福島瑞穂がやって左翼とは自分たちが何を支持していたのか記憶がないのだろうか。その体たらくを在京キー局や新聞社オールドメディアが報じていて、chinaに占領されているのは東京のほうだ…と思いつつ実際に身体を動かして観る青空は下界と違ってキレイなのであった。

でその下界に戻ってこれまたつむりさんブログで紹介されてたながや菓子工房で一休み。

アイス食って涼みました。このあたりには喫茶サフランもあってなんか昔栄えてたんだろうなみたいな小さい地域です。

ついに前後ホイールを自作。女房に風邪がうつったので俺が代わりに運転して山口に行く。

いきなりですがついに我が人生で前後ホイールを自作することができました。コツは3mmぐらいのフレなら気にしないことですw

これで俺も21世紀の日本に何人存在しているのか分からないいっぱしの自転車乗りを名乗ることが出来ます。バルブ穴の位置がいまだに合わせられないのは秘密。

でDragonbikeで買ったRifle AK20春香号につけて女房が風邪なのに俳句の会で借りた本を返却するため古都山口をポタリング。

遠方から来たと思われたのか囲いが取れた瑠璃光寺にてボランティア案内役のじいさんに写真を撮られるw

瑠璃光寺は山口の歴史を調べたら分かるが陶弘房の菩提寺で本来の大内氏の菩提寺ではない。陶弘房は応仁の乱最大の戦闘と言われる相国寺の戦いで戦死している。そもそも応仁の乱では大内氏が西軍の主力と言っても良い勢力で、大内氏とは世間一般では足利義満が統一したと思われている南北朝合一の仲介の主役だったり、そのため勢力が強大になって義満とガチ対決して一度滅ぼされかけたとか、最終的には陶晴賢に大寧寺の変で滅ぼされるのだが、どうもその原因が単なる下剋上ではなく京都から山口への遷都が原因であったのではないかというトーマス・コンランの新説が割と説得力があったりで、大内氏は経済的に既に日本を統一していたんじゃないかぐらいの勢いだったことを古都山口はもっと推すべきだと思う。

みずほ銀行山口支店で通帳記帳と繰越。ついでにカードの磁気情報を更新。ちなみにvee speedsterはマレーシアのサイトに451を6本注文したのに1本だけ406だった由。

横浜生まれ宇都宮育ちの妻が「そのデパートはデパートと呼ぶにはあまりに小さくてびっくりした」と古都山口市民がガチギレしそうなことを言い放った井筒屋前の茶店ドマーニでコーヒーと生クリームあんこクレープを注文。でっか。店員さんが誰かのオムライス運んでるな…と思ったら俺のクレープだった。そしてこれは子供の頃憧れた甘い生クリームだわ。美味い。最近の生クリームは美味しいけど甘くなくてまあいいかと思って居たけどこれはすごく良かった。

風邪引いたので津和野に向かって70km程度走ってみたら「糧」という明治大正の病院を保存した野菜料理レストランがナニを小癪な(椎名誠風)感じだった。

やよい号では諦めたコンパクトクランクがもう手放せないraptobike美希号で周東町から津和野までのゆるい登りを70㎞ほど走った。ものすごい晴天のなかで何人ものモト・人力問わずライダーさんたちと笑顔でアイサツを交わすような人間になってしまった。津和野手前の徳佐の9号線沿いのセブンイレブンで日産マーチの妻と合流。風邪を飛ばすにはちょうどいい機材とコースであった。

で徳佐からは20㎞、津和野から10㎞の「糧」というお食事処へ。割と津和野駅からの道は山道あたりは山口の歴史を調べるとなにかとちょっかい出してくる吉見氏の領地っぽく「へえこのへんの人だったのか」と感慨深い。とか思ってたら「堀庭園敷地内 旧畑迫病院」なる建物があって明治に畑迫村の堀さんが鉱山で財を成したため地域のためにと大きな病院をおつくりになられた由。それを保存してレストランとしていると。これは面白い。

病院、医食、まあ薬膳ぽい?ということでお野菜が中心のようだ。カレーの、写真で言えば左半分は美味かった。もう一回来ようかな。と思うぐらい美味かった。

ビュッフェの女房が帰って来て俺にお皿をごろうじる。正直自分の様に自転車に乗ってる(体重を気にする)人間としてはいろんな野菜がアレコレてんこもりになって出てきてちょっと狂喜。

デザート。ああ季節のアジサイね…そういえば今年は梅雨明けが6月末で「あらここらへんの葉っぱの塊、アジサイだったのか」という山道がいっぱいあった。雨が降ってる時期に山岳コース走るわけないからなあ…とか思いつつゼリーほじくってたらムギが入っててなんか甘い。これも意外で美味かった。このあたりでむむっと思う。これはこの手の施設でかなり上手いことやってるなあ。

食った後適当に明治大正昭和と病院だった建物を見学。面白い。くっそー山口県の粭島の小学校なんかこれ以上にカッコいい建物だったのに取り壊されたんだよな…あと本郷の市役所支所のカワイイ建物も影も形もなくなってしまった…島根県がうまいことやってるのはくやしい。隣の県民としてくやしがるべき。

メチャクチャ面白いわけではないですよ。歴史資料としてはもっと切り込んだポスターが欲しい。しかし、建築は本物なので高圧電気とか天窓とか水回りとか、環境省辞めて広島でドカタやりはじめた身としてはやっぱり面白い。

そんで津和野駅前の喫茶店でコーヒーしばきつつ鷺舞みようぜと涼んでいたら煙が見えた。マスター曰く「SLが16時に出る」そうであわてて撮影。我ら夫婦ともども蒸気機関車が動いているところ見るのは初めてで興味なくてもやっぱり良いもん見たなあ感は半端ない。迫力もあったしなにより音がでかくてかなりビビる。D51200は「あだち勉物語」であだち充が昭和40年代に兄から400円で依頼され描いたSLである。つまりコイツはあの当時から記念碑的存在で19歳がちょいと絵の資料にする雑誌に出ていたのだろう。

で鷺舞のほうは暑くてついていくのが大変でした。おじさんが汗かきながら頑張ってました。これは津和野一日見るものてんこ盛りですわ。妻のお陰で「糧」を知ることが出来て良かった。

厳島管絃祭に行ってKHSのT-20亜美真美号で岡山の羽山第2トンネル行ってしまなみドルチェ行ってきた。

東京に居た頃なんちゃあ「風の盆」とか言って富山の祭りが話題になっててまあ都会人が地方の祭りを云々言いたがるのは正直胡散臭かったが、そんな地方の特殊なお祭りみたいなのが宮島にもあるらしく女房が行こう行こうとうるさいので行ってみた。

7月11日金曜日の夕方、会社へは電車通勤しJR阿品駅で妻と合流し広電阿品駅へ向かう。もう40年ぐらい前小学校に入ったか入る前かの頃ナタリーに行った記憶があるんだけどそのときここを通ったのか通らなかったのか。

なぜ宮島口ではなく阿品で広電に乗ったかと言えば地御前駅で降りてこの地御前神社での厳島管絃祭を見るのが俺の希望だったから。国道2号線からなんかでかくて立派な神社があるなあ。と思ってたら地御前神社だったので前から行ってみたいと思って居たのだ。

でかい玉串。ニンジャマスター・ガラの手裏剣並みである。聞くところによると宮島が禁足地だった頃この地御前神社が宮島神社だったそうな。立派なわけである。

我々は厳島管絃祭がどういうものか全く知らない。栃木出身の妻は「厳島(宮島)に行かなきゃ」と思っていたようだ。とにかく地御前神社では人だかりも屋台もそこそこあって夏祭り感は十分存分に味わえたので満足である。

お祭りのクライマックスは宮島からなんか怖いお兄さんがいっぱい乗ってる船が来て子供たちにモチ撒いて神主さんが祝詞をあげてまた宮島に帰っていった。そういうお祭りであった。どこかで地元住民らしき方が「ことしは明るいね」「7月11日は(旧暦でズレて)早いね」とか話していた。

で次の7月12日は岡山に羽山第2トンネルという珍百景をyoutubeでことさら秘境っぽいことが強調されていた場所へKHS T-20亜美真美号を車に積んで行ってみた。高梁市成羽複合施設たいこまるプラザから6km弱の、タンデムによる二人力の恩恵が得られる程度には斜度がある山道を登った場所であった。最初妻にパイロットを任せて俺はストーカーやってみたのだがあまりの妻の自転車を漕ぐ動作の無駄の多さに呆れ果ててしまった。警察の交通安全のビデオでお巡りさんが自転車に乗ってる(ていうか自転車の上でなんか足をふにょふにょさせてる)ビデオを見せられてる気分だった。

まあ素人込みタンデム自転車で危なっかしいことなく登れるお手頃観光地としては見ごたえがあった。これが妻みたいな自転車素人ひとりだと無理ですね。かと言って俺みたいな自転車玄人だともっと数十キロのコースの一部にしないと全然物足りない。KHS T-20夫婦コンビがたまにタンデム車を動かす理由としてはちょうど良かった。

とりあえず宿の福山センチュリーホテル近くの居酒屋てっぺいで飲んだ喜平ってお酒がなかなか美味しかった。いぶりがっことかトマトとベーコンの串焼きとかワシらが大学卒業~都内に就職したころの定番メニューが生きててこれも美味しかった。

最終日7月13日は予定がないので「しまなみ海道でも行くかあ」と生口島。しまなみドルチェは初来店。肉まんも食った。なんか夏休みっぽい。

俺がランドネきたかんで初ブルベ体験して「なんでこんなバカなことをしている人々がいるのか」と思ってた頃始まった「ろんくらいだあす」の色紙もあった。

ついでに1本ぐらいしまなみ海道の橋渡ってみるかということで多々羅大橋を渡ってみた。夏っぽいですね。すごくさわやかだがこのころ厳島管絃祭でノーマスクだったので訳の分からない夏風邪に身体を蝕まれていた…

人生初ホイール。

土曜の長野山天空のカフェの前輪は俺が一度組んで師匠曰く「いくら再利用したいってこんなリムは初心者はムリ」と組みなおしてくださったホイールだったので今回のコレが俺が初めて自分で(測って注文して)組んだホイール。テンションゆるゆるだけど一応センターでてフレも3mm以下です。

あと携帯をF-41bからF-51bに変えたのだが速度的には満足なんだけどなんだこのカメラ。iphoneみたいなクソ映像発生器みならって訳の分からないボケ処理入ってる気がする…最近のガキ(30代中心)がいい加減ワシらが1980年代に夢と希望で一杯だった情報デバイスにこういうクソみたいな仕事させるのやめてくんねえかなw

散髪しに隣町(柳井)まで20kmダム湖3個超えて。

散髪でも行くか~って隣町まで単車で緑だらけの山道を走るわけですよw東京でこんなの考えられない。田舎暮らしの夏が楽しくて笑いが止まらない。

そういえば普通自動二輪の免許取ってSR400で過ごした東京の夏はひどかった。高架下の渋滞なんて拷問だった。すり抜けみたいな下衆いことしないで都会で二輪車に乗るのは難しい。翻って田舎にずっと住んで免許取ってMOTOに乗ってたら、まあ、「二輪車としての楽しさはコレが上限」とか思っちゃって、日本人としての人生でマトモな日本人向けではない欧米基準の自転車に一度でも乗ることはなかっただろう。

2025年の梅雨は7月に入る前に開けていきなり猛暑で身体が慣れるか心配だったが古民家での夏はとにかく窓を開けてクーラーを29℃設定にする。なんとなくどっからか涼しい風が来ると心地よいのだ。底辺のスポットクーラー的味わいと言われたらそれまでだが、どうせクーラーつけっぱなしならこっちのほうが良いと思う。

ショック!152.5mmのコンパクトクランクをリカンベントにつけるとマジで坂が登れない…

ショートクランクについては別府史之氏ほか諸兄方が「平坦はいいけどスプリントとかトルクが必要な場面では困るで」とおっしゃっていたがその通りだった。周南市の長野山、天空のカフェの坂は平均10%が5kmぐらいなのでそんなに激坂でもないのに変に苦しい。おかしい。身体が衰えたにしても納得できない。体重も体調も万全。そうか、ショートクランクによるトルク不足か。これはキツい。頑張ればどうこう言う話ではない。出せるパワーが人為的に(俺じゃ)カットされてるのだ。今まで積み上げてきた経験がまるで生かせない。これではいくら平坦が楽しくても折り畳み輪行でマルチロールファイターやらせてるazub origamiとしては使えない。帰宅して170mmの105に戻したの図。平坦ではstravaでガンガン新記録出してたので正直悲しい。

しかし以下余談であるが、raptobike(美希号)でもショートクランクで周防大島の文殊山を登ったけどこんな苦しさは感じなかったなあ。もちろん「こりゃダメだ」と諦めて推して歩いたけど。器用貧乏やよい号とは違って無自覚天賦の才美希号はそういうバイクだから良いのだが、それにしても長年乗り続けたリカンベントで登坂の楽しさ(苦しさ?)の違いがあった。前輪駆動(チェーンの長さはロードよりちょい数コマ足しぐらいで駆動系のダイレクト感がトルク不足を補うイメージはある)と後輪駆動(チェーンの長さはロードx3でちょい余るぐらい)だと何か違うかも知れない。ただの感覚の話なのでなんの利もないがこの夏のテーマになりそう。

兎も角ショートクランクをクルクル回して走った長野山までの平坦は楽しかった。周南市の田んぼがほとんど水が張ってないのに驚いた。梅雨が異常に短くてJAがそう指導してるのか鹿野の渋川のさらに北に行かないと水田が現れなかった。

鹿野と言えば東京の立憲民主党や共産党でズタズタにされた女性人権運動の聖地二所山田神社だけど西京県の本流としては蔑ろにされている現状こそ誉。

石船温泉を過ぎたあたりで目観音様なる観音様を発見。網膜裂孔の自分は思わず参拝。そういえば前輪は師匠に教わって組んだR390です(あまりにリムがガタガタ(空気圧120psiとか入れてた時代のシロモノなのでサイドが膨らんでたとか)だったので俺が組んだあと師匠が組みなおしてたがw)。これでスペアのTPUチューブのバルブ長がおそろいで済むのだ。

あと天空のカフェの坂の入口あたりで五郎万橋を作ってた。長野山へ登る道は岩国側の道路はひどいもんだけど周南市は税収が良いのか頑張ってますね。

ショートクランクで苦しんでたどり着いた天空のカフェでカレーを食べる。こんなとこ誰もこないだろと思ったら割と客が居て20分ぐらい待たされたがお米を補給するとホント疲れない。

で帰り道定番のコッチネッラは…売り切れ!どうしたのよ岩国市と周南市。なんか賑わってるのか?

しかも去年から錦川沿いコースには江木商店があって自転車乗りとしては心強い。コッチネッラで補給できなくてもここで十分休める。夏の猛暑で100km走るには周防大島巡回コースしかない状況は変わりつつある。