盆直前の大地震に怯える老人どもが一瞬だけ高千穂峡のボートの予約に隙を見せたので行ってみた。

東京ポリコレ地獄県の環境省と違って広島の超絶ホワイト土建屋ではお盆が9連休なのを知ったのは通知がゆるくてお盆直前。「9連休?マジ?」「どこ行く?」とトラベルコちゃんと右顧左眄していたのだが折からの地震へたくそ報道で高千穂峡のボートの予約が一瞬空いたので掠め取ってみた。

高千穂くんだり宿泊地として選んだ延岡市と言えば全アジア人の近代化をひっぱった土地の一つであり旭化成敷地内にあるハーバー・ボッシュ法から発生したカザレー式アンモニア合成塔の記念碑はその象徴である。一般に公開されているものではないので格子のむこうから覗き見なのだが当然これを参考に見に行くヴァカが居たら職員さんから明らかに歓迎されない行為なので配慮すること。

山口県からの移動と人類の遺産を見たのでこの日は終了。延岡第一ホテルの目の前に居酒屋があったので「青春の門」に行ってみた。

かなり安くてなかなか美味い。コスパは全国的に最高レベル。お店も女将さんの雰囲気も良くて延岡「青春の門」超おすすめ。

いよいよ高千穂峡のボートに乗る。無料駐車場で「(ボート受付のある)第一駐車場はどこですか?」と聞いたら「ハイハイ水族館行きのバスはこっち」と案内されて「水族館?」と思ったが水族館と第一駐車場はほぼ同じ場所にあった。写真は当日券の行列。このあとボート漕いで地上に上がってみたら誰も居なくなっていた。

ボート乗り場にカモが居た。

やはり我が山口県岩国市とくらべて全国レベルの観光地は違う。ぐぬぬ~と思いながらはしゃぐ。

で高千穂峡から天岩戸神社への移動はKHS T-20である。しかし九州のこのへんはどこも風景がカッコイイ。

もう最近はどこの観光地でもサイクルラックがあってそろそろ「大和民族は自転車に乗ったこともなければ見たこともない」と言うのをやめようかなあ。サイクルラックとはスタンドがない自転車を停めるための設備。ここから鳥居のところに戻ればサイクルラックがあった。

カポっと天岩戸のような髪型の神主さんに案内されて天岩戸を見た。

灯篭も神主さんの髪型に合わせてkawaii。

もう一つの見どころ天安河原は良かったが観光客が多すぎてありがたみがない。お盆だからしょうがない。

あまてらすの隠れカフェでそば食う。脂っこいけど暑いので美味しかったし地震が来たら崩れ落ちそうなテラスからの眺めも良かった。

さてこれで今回の旅の主な部分は終了。残りはどこへいこうか。

そういえば鉄印帳もらいそこねてた高森駅に寄ってみたらなんだか復興プロジェクトで人がいっぱいいた。我がJR周防高森駅もなにかやればいいのに。不祥事抜きで。

ミーハーな妻のリクエストにより上色見熊野座神社に行ってみた。人がいっぱい。しかも外国人。さすがに唾吐いたりウンコしたりはしていなかった。

なんか俺も神主さんみたいになりそうな写真映りのこのごろ。この日はホテルに帰って酒飲んで終了。

最終日。九州最東端の鶴見崎灯台に行ってみた。

なんだかおなかが空いたのでOITAしらすhoyomaru豊洋丸のテイクアウトの箱に入ってるしらす丼でとりあえず軽く昼食。と思ったら結構おいしくてしかも量があったらしくこのあと夕食までお腹が空かなかった。

ノンアルビールは偉大な発明ではある。すごく夏っぽい感じでお盆の旅行は終わった。

岐阜県多治見市の陶彩の径をタンデム自転車KHS T-20で走ってみた。

陶芸家になったので他にも陶磁器について勉強すべき。そういうわけで岐阜県多治見市へマジョリカタイルの施釉体験に行ってきた。妻が勝手に申し込んだ企画なので俺は良く分かっていない。日産K12マーチで朝930に玖珂ICを出る。

宝塚SAで休憩。みたらしチーズ羽二重っておかしが美味かったので調べたら福井県のお菓子だったw

食べて呑んでみんなでばんざい」というお店に行ってみた。

酒は当然三千盛である。飲みやすいのに味の濃い料理に負けない。

翌朝ホテルの駐車場でT-20を引っ張り出してスタート地点の多治見駅に向かう。天気はすごく良かった。

多治見駅に着いたが出発時間まで余裕があるので駅をうろつく。聞いたこともないアニメ「焼くならマグカップ」のパネルが多かった。閑散としてるようだが「(有人の)JR全線きっぷうりば」があり田舎から出てきた我々は完全に負けてしまう。

サイクリングの様子はこんな感じ。女房とイベント主催者の間で連絡が行っておらずチャリンコ持ち込みで880円OFFかなわずwしかし小さい事言ってたらこの女と二人で旅行なんて出来ないので笑って走る。

さあ着きましたよ。タイルミュージアム。

最上階はオサレ空間。ちょっとオサレすぎんじゃね?と思ったら

展示物なんだけどダサくなってもいいから案内置いて欲しかった。「これは何時どこの民家から移設したアレ」とか分かる様にしてほしい。ただずらーっと並んでいるだけで分かりにくい。なんか並んでるな。と思って展示の詳細説明らしきラミった資料に気付いた時は「ハイ次の階いきまーす」だった。

そんでもって最終目的地 丸万商会さん到着。

そしてこれがマジョリカタイルの施釉作業風景である。楽しい。

丸万商会さんの工場見学させてもろた。モザイクタイルの並び替えが完全人力なので感動。正直タイルは磁器なので陶芸を目指す人間としてはあまり興味がなかったが目地つけ作業とかオサレだし面白そうで最近は材料が新素材で便利かつ安全になってるだろうから小さいトレイとか棚とかDIYしてる人が多いだろうなとは思った。

で岐阜県現代陶芸美術館にリサ・ラーソンを見に行った。でかくて立派な施設である。

で後日送られてきたマジョリカタイルがコレである。FoEかと思ったが左が俺で右が女房だ。妻のは左右非対称にしてこしゃくな真似をしているが丁寧に塗った釉薬が濃くて既製品の様になってしもうてる。俺の適当に塗った薄い釉薬では濃淡の効果が悪くない。同じタイルで釉薬の濃さを変えてみると表現に幅が出ただろう。

通化寺おりたた部、三段峡を行く。

わんにゃんマルシェ出店のため陶器大量生産体制に入った通化寺犬猫部の慰安としてタンデムバイクで三段峡まで走ってみた。といっても折りたたんで車に積んで「道の駅来夢とごうち」から片道8kmを往復しただけだが。

で「お食事処 三段峡 川流」が混んでてしかも混んでるなら店員さんから「スミマセンちょっと無理」とか案内もあっていいもんだがほったらかしにされて頭に来て隣の「三段峡 cafe & ビジターセンターLoupe」に入ったらこっちは座れてまあ普通の味のコーヒーとなかなか美味いプリンが出てきたので機嫌が直った。あと「琥珀糖」なるものも出ていい感じ。これが三段峡を歩く上で重要なエネルギーになるとも知らず。

結論から申すと三段峡舐めてた。黒淵の渡しでギブアップ。小学生のころもっと奥のほうにある滝で泳いだ記憶があるのだがその現場を確かめるのはまた次回に。しかし寂地峡の数倍はあるスケールでいい天気もあって汗だくになりマジで運動になった。中国地方出身でありながら小中高の頃はこういう「~峡」を頭からバカにしていたが老人になった今では心身ともにありがたくてしょうがないw

実を申すと広島県岩国市民としては三段峡は小学生のころ一度行ったきりで乗りたかった渡し船に今回初めて乗ってインスタではしゃぐ。

で帰る前になぜ有名になったか分からない「鯛焼屋 よしお」に寄って通化寺の連中へのお土産を購入。妻は「常日頃たいやきはアンコが多すぎると思って居た。ここのたいやきは皮が多くて非常に満足である」と言っていた。自分なんかはたいやきはアンコONLYで良いのだがそれは物理的に不可能なのでアンコをつかむための梱包材がひっついている。との考えなので、まあそういうことなのだろう。

周防大島にてシマクル2023が開催されたのでウチの嫁をタンデム亜美真美号KHS T-20で92km引きずったら某S氏感溢れた件について

亜美真美誕生日に近い5月21日、広島ではアベちゃんの意志を継いだキッシーが歴史的G7を成功させ、我々はタンデムバイクの最高走行距離を50㎞から90㎞に引き上げる計画を実行にうつさんとしていた。

70㎞地点の周防大橋。疲れ果ててるにしても酷いですね。平均速度は13㎞を下回り想定平均速度15kmの運営陣に大いに迷惑をかけております。

スタート時はこんなに元気でした。

ここでSR持ちの俺、痛恨のミス。etrexがさかさまでスタート時からやる気を失う。

PC1にてマリトッツォ。しかし今見たらなんだ妻よこの腹はw

PC2のビーフカレー。量が多くていいねと語り合っていたら妻がrudy projectをカレーに落としトイレで洗う間ウ〇コがついたと連呼。この時点で姿形だけでなく言動のレベルも某S氏と変わらなくなる。

ウ〇コ連呼してると某脱糞民〇党と変わりないのでPC3庄南ビーチの周防大島の美しい景色をさらす。山口県民としては福岡の糸島みたいになればいいと思います。がんばれ周防大島。

PC4にて。「え~既に平均速度は13kmを切っておりまして…」やってることは迷惑系と変わらないが耐えるシマクル運営陣と大島住民たち。この時「なんだこのぜんざい冷えてるじゃん」とブーたれてかましてましたがよくよく調べると提供されていたのは「冷やしぜんぜい」でした。

それでも優しい周防大島の人々はクローズド時刻を20分も我慢して暖かいみかん鍋と完走証をくれたのでしたw ありがとうございました!

今後のT-20の予定としては:
・とにかくKHSの銘が入った標準サドルが50km超えたあたりでパッド付インナーパンツでもケツが痛い。夫婦そろって痛い。サドルをもうちょっと良いのに変えないとまずい。
・安易な高速化として太さ44のmaxxis torchを35あたりのシュワルベ コジャックにする。しかしデブx2が乗ってるんだから耐久性というかこまめに様子は見なけりゃならないだろう。それを考えるとtorchの一生ノーメンテで使えそうなまるで原付タイヤみたいな頑丈さのタイヤを、このタンデムバイクに持ってくるKHSのチョイスは嫌いではない。

しかし後世に語り継がれるであろうG7でしたな…

タンデムバイク亜美真美号(KHS T-20)で走った様子が長門市ケーブルテレビで放送される。世界のSHIGEYUKI HANDANから長門市の半田繁之へ。ついでに亜美真美号のハンドルを折り畳みに。

筑波大の先輩である明和電機が優勝したときのソニーAAAで2次予選まで行ったワシの作品がフィンランドの国営放送で流れたときワシの名前も一瞬出たのだがそれ以来のテレビ出演である。ちなみに国内のメディアはMacFanしか取り上げてくれなかった(ワシはmacが大嫌い)。以下はほっちゃテレビ(長門市ケーブルテレビ)の放送内容を書き起こしたもの。

(ナレーション:ながとブルーオーシャンライドwith秋吉台が5日に開催され…中略…ロードバイクに比べると二人乗り自転車は負担がありそうですがそのことについて聞いてみると…)

わし「きつくないです。山上る時っていつも力を入れて上らなきゃいけないんだけど人間って瞬間的にしか力が出ない。その時に後ろの人がタイミングずれて微力でも力が入っているので 助かる。楽なんです。ただスピードは遅いですがw」

(半田さんは普段リカンベントと呼ばれる寝そべった姿勢で乗る自転車で様々な大会に出ているそうです。その時に出会ったのが二人乗り自転車です。)

わし「視覚障がい者と健常者がタンデム(2人乗り)で上るっていう大会があって それを見て「大変だなあ」と思って見ていたら どっちも「楽しいよ」って言う。

 前席の人も後ろの人が支えているというか全然普通の自転車と違うのでそれが楽しくてしょうがない。」

女房「後ろの席は怖いんですけどコントロールができないので身を任せるコツをつかむと楽しいんです」

わし「楽しみ方は前と後ろで全然違うけどそれぞれが楽しい。健常者の人がサービスしている訳じゃない。目の見えない人もこいでるだけじゃない。というのが乗ってみて初めて分かった。

 そこが面白い。もっとイベント出てみたいなと思って今回初めて出られるイベントを見つけて出れたので嬉しかったです。

(ナレーション:2人乗り自転車の面白さをイベントを通して実感したことを教えてくださいました)(書き起こしここまで)

取材した長門市ケーブルテレビの方は一人でカメラとマイクを持って全部こなしていた。ワケの分からないことを喋るワシら夫婦のインタビューを要点を捉えて効果的な映像を添えて編集しまるでマトモな夫婦がすごく良いことを言っているように仕立て上げるスキルは麹町時代の日テレの関連会社に3ヶ月だけ勤めて余りのブラックさに24時間テレビの武道館の地下で弁当配りながらSPEED見れたら辞めようと思ったら美女に囲まれてマッサージ受けてる徳光しか見れなかった私が言うがハッキリ言って東京の腐ったどのテレビ局の人間より優れていると言い切って良い。

 * * *

でもって今日は津和野まで走った日と違って天気も良くKHS T-20の折り畳み機構と呼ぶにはどうにもこうにも乱暴なステムを廃棄折り畳み自転車の折り畳みステムに交換した。

T-20のステムは折り畳みの時はスッポ抜いてユーザーがフレームに縛り付けるなり適当に転がすなり勝手にしろ。というお粗末なモノ。以前KHSと言えばm1216のステムとか結構面倒くさい処理がしてあったので恐る恐る様子を見てみたらビックリするほどシンプルに引き上げウスで25.4mmの棒っ切れを固定してるだけだったw

こんなものでいいのか。と思うほどうまくいった。ステムに巻き付けてあるオルトリーブの肩保護パッドは廃棄チャリの塗装が良くないので使う人間の手を汚れから保護するためにつけたものw

タンデムバイク亜美真美号(KHS T-20)、秋吉台を行く。

亜美真美号で「ながとブルーオーシャンライドwith秋吉台」に参加してみました。初めてのタンデムでの自転車イベント。写真のように天候も日焼け対策不要の好条件。やや風が強いなか順調に走ることが出来ました。

そもそも我が家の亜美真美号というネーミング、かの黄色いFDB140が世に出て2台おそろの輪行セットをもくろんでいたのだが非力な妻には8kgすら輪行は無理だと判明したので折り畳みタンデムに路線変更してカーサイクリングをちまちまと楽しんでいたのだが、今回ながと~(長いので略)ライドでは美祢線於福駅でスタート地点センザキッチンへ戻る趣向。これなら折り畳んでMTB系の輪行袋に入ってもクソ重いので躊躇していたT-20の輪行を試すのに良いと考えた。距離も50kmとお手頃で山中峠や秋吉台もあり前回UFOラインで「意外とタンデムは山に強い」ことが判明したためタンデムでの初イベントとしては理想的。

岩国から長門市仙崎までK12マーチで下道3時間。時間に余裕があったのでT-20をセンザキッチンまで走らせて前日受付を済ませる。ここの観光案内所「YUKUTE」には我らが亜美真美号と色違いのブラウンのT-20があって(よく見ると奥に映っている)スタッフ数人から「タンデムで参加の方ですか!」と喜ばれる。事前にタンデム参加の意思を伝えており車種や自分の自転車歴を申告済み。この拙ブログを見てタンデム自転車でイベに参加しようと思い立つ奇特な人が居たらどうか事前に山も含めて必ず試走してください

居酒屋 ひょうたん」で前祝の図。イカの一夜干しに甘口醤油にマヨネーズという甘辛系なのだが意外や上品で美味い。なんかもう東京だと初心者扱いで敬遠される甘辛系をストレートに出してきてここまで上品な味の店はあんまりない。次の日完走祝いで宿に一番近いという理由だけで入った「焼とり おひざもと」も同じ系統で基本が美味かった。今まで萩へ旅行の途中に寄ったりブルベで通過するだけだった長門市仙崎。もしかしたら基本レベルが高いのかも知れない。

さて実際に走ってみた感想:
・ガチロードと一緒に走ると21kgの車体に合計130kgの人体が乗っかってるミニベロなもんだから見た目は遅い。ただ今回のコースは13km/hベースのようで基本20km/hキープで十分でした。初心者向けのコースに感謝であります。
・登りはUFOラインの経験通りやはり楽だった。速いとは言わないが自転車とは走り終えてほどよく疲れて楽しめたことが絶対王者。今後はいろんな箇所に投資して全体の速度を上げてみても良いかも知れない。
・そのUFOラインで出来なかったダウンヒル。秋吉台の下りで50km/h以上、問題ないなと思った場所で60km/h出してみたらデフォでMAXXISのTorch履いてるT-20は十分耐えた。それ以上はやめたほうが良さそうな感覚もつかめた。
・そういえばタンデムで時速60キロ以上出したのはSR400で高円寺から日比谷公園往復して以来だった。SRのとき妻は「もう二度とタンデムしない!」と言ってたが今回は「また乗ろう」と言ってくれたw
・特にトラブルなくたどり着いた写真はゴール間近の別府弁天池エイド。ここでVブレーキが偏っていることに気付き調整。多分下りで飛ばしたのが原因だろうな。やっぱりディスクブレーキが良いなあとT-20を買った後出てきたT-20GRに思いを馳せる。まあ色がアレだが…
・このとき女房はインナーレーサーパンツ初体験である。wiggleの価格調整で買ったような安物だが全然お尻が痛くなかったと好評であった。

この後ほっちゃテレビ(長門市ケーブルテレビ)さんから取材されたのでタンデム自転車について自分の考えをしゃべる。美ヶ原ヒルクライムで健常者と障害者が参加してるのを見て「大変だなあ~」と思ってたらパイロットもストーカーもどっちも「別々に楽しんでいた」ことが実際に乗って分かった。みたいな話。

於福駅についたら輪行袋を…と思ったら「団体」の文字。どうやら貸し切り列車で「そのまま持ち込み可能(毛布+廃棄チューブで固定のサービスつきw)」だったwオイオイ聞いてないよ~!とかせっかく輪行袋持ってきたんですけど!こんなクソ重たい車体で!とか思ったけど大人しくサイクルトレインを初体験で満喫しました。そんな訳で初体験尽くしだった今回のイベント、一番肝心の「二人がかりでタンデム自転車を折り畳んで輪行袋に入れて輪行する」という夢はかないませんでしたw

サイクルショップやまだに亜美真美号(KHS T-20)の車検に来たら60年前のタンデムバイクが凄かった件。

サイクルショップやまだ。山口県と言うより日本がまだ先進国面できるのもこうした20世紀に鍛え上げられてこの21世紀にようやく日本全土の田舎のクソ舗装道路に普及し始めたディスク対応ホイールを寸分の狂いなく組める自転車屋さんがいまだ遺っているお陰なのだ。首都東京ですらそういうお店があってもあまりの数の少なさに常連がたむろってしまい、とても素人がおじゃまできる雰囲気ではない。そういうお店がなくなってしまったらどうするのか。原子力発電で動く本当の意味でのクリクリクリーンな電動バイクが普及した時、ディスクブレーキのメンテナンスはまず無理だろう。先進国から本当の意味で陥落するとはコンビニ弁当やカントリーマアムが小さくなったとかではなく、そういうことなのだ。

…とノストラTOMの予言が終わった頃には亜美真美号の車検は終わってハンコ押してもらっていたwていうかタンデム自転車重たいから二人がかり(俺とやまださん)じゃないと車検作業もすんなり行かないわけで撮りたかった車検作業写真はなし。スマン亜美真美号w

 その代わりにサイクルショップやまだの裏に置いてあるなんか旧そうなタンデム自転車の写真でも撮っておこうかとよく見てみたらこいつがタダモノではなかったw

リアがド・ド・ドラムブレーキwww(個人的にはフレームエンドがママチャリ的でなく味わい深いw)60年前のカブつまり原動機付自転車と同じブツらしいw

いやまてよリム側にはシングルピボットのキャリパーブレーキもついてるぞ?

なんとストーカーのハンドル左のみにブレーキレバーがw

前席パイロットは前後ドラムブレーキを操作し後席ストーカーはリアのシングルピボットを操作する由。そういえばあの当時(ていうか今でも)原付で二人乗り(重たい)なんてなかったわけで、つまりパイロットが60年前のプアな原付ブレーキを握って「くお〜!!ぶつかる〜!!」となったとき、すかさずストーカーが左ブレーキを追加するわけです。なんてスリリングな60年前www

これまたシンプルで素晴らしいパイロットとストーカ間のテンショナー。これKHSのT-20だとBBがでかいBBの中に組み込まれてBBに遊星ギアみたいな動きさせてテンション取ると言う複雑怪奇で言ってる方もワケが分からない方式なんですよ。絶対こっちのほうが簡単で良いって(まあKHSが想定してる外人の馬鹿力だとコレじゃもたんだろうなw)。

そんなわけで丸石の60年前のタンデムバイクは全体を見るとできるだけコンパクトにしつつフレーム剛性に気を遣っていたり二人分の重力を支えるために今なら流行りのファットなタイヤになっていたり、ただですら公道許可がない時代に、メンテナンス性や重量にハンデが生じてますます売れなかっただろうな~。という話でした。