LEZYNE MICROにダイレックスで買ったモバイルバッテリで給電しつつ島根県。

 amazonの営業利益が5割減ということでgafamの凋落ぶりが目立ってきた。アメリカ経済はgafamでもってるようなもんだから「戦争は買い」と言っても今からS&P500の積立はじめていいのかガチで心配である。
 このごろはgoogle並みに役に立たないと評判のamazonの検索も「ガチ用途でなくお試し程度に容量は少なくていいので100g前後かそれ以下の重さのクソ安いモバイルバッテリ」の結果が酷いのでダイレックスで700円で5000mAhのモバイルバッテリを買ってみた。

120km走ったら電池がなくなるLEZYNE MICROであるが今回試してみたら全5個の残量LED1個分しか消耗しなかった。良い感じである。

前回は寂地峡・松の木峠だったので今回は傍示ヶ峠を目指して錦の山賊に行ってみた。375mのボウジ=ガ=トウゲではなくボウジ=ガ=タオである。走れば分かるホントに峠と呼べない緩さ。岩国側からだとまあ坂っちゃあ坂だけど特に島根県側からだとほぼ平坦。ホントに中国山地で「タオ」と呼ばれる峠はリカンベントには有難いがロードだと練習にならない。

傍示ヶ峠を越えると島根県に入る。山に映る雲の陰がのどかだ。暗黒の山口県/岩国市と打って変わってこれまたまたしてものほほんのんびりとした雰囲気になる。ただ広島の仁義なき明るさと違ってなんとなく岡山あたりに似ている。こらえてつかあさい。

で、理由あって今回は輪行袋がないので津和野まで行ける手ごたえを感じたら後はどうしようかと思ったが「道の駅むいかいち」「産直物産館やくろ」「むいかいち温泉ゆ・ら・ら」と名称がブレまくっている施設でお土産買って帰る。

なんとも枝の切り方があざとい干し柿である。女房は「カワイイ」連呼。味もなかなか好評でした。

 * * *

月が替わって11月3日文化の日raptobikeで朝8時出発で道の駅かきのきむらまで走って陽がまだ十分高い15時に帰って来ました。ここから津和野まで暗くなる前に往復できるか山もあるし微妙なところ。

しかし東京から田舎にやってきて好きな時に100km以上あーでもないこーでもないと信号のないド平坦を試しに走れるなんて、これは世界が日本をうらやむわけです。世界では平坦が本当に少ないことが分かった21世紀、巷ではぶつくさ文句言ってる人間が多いかも知れませんが、私の日本はwow wow wow wowです。

サイクルショップやまだに亜美真美号(KHS T-20)の車検に来たら60年前のタンデムバイクが凄かった件。

サイクルショップやまだ。山口県と言うより日本がまだ先進国面できるのもこうした20世紀に鍛え上げられてこの21世紀にようやく日本全土の田舎のクソ舗装道路に普及し始めたディスク対応ホイールを寸分の狂いなく組める自転車屋さんがいまだ遺っているお陰なのだ。首都東京ですらそういうお店があってもあまりの数の少なさに常連がたむろってしまい、とても素人がおじゃまできる雰囲気ではない。そういうお店がなくなってしまったらどうするのか。原子力発電で動く本当の意味でのクリクリクリーンな電動バイクが普及した時、ディスクブレーキのメンテナンスはまず無理だろう。先進国から本当の意味で陥落するとはコンビニ弁当やカントリーマアムが小さくなったとかではなく、そういうことなのだ。

…とノストラTOMの予言が終わった頃には亜美真美号の車検は終わってハンコ押してもらっていたwていうかタンデム自転車重たいから二人がかり(俺とやまださん)じゃないと車検作業もすんなり行かないわけで撮りたかった車検作業写真はなし。スマン亜美真美号w

 その代わりにサイクルショップやまだの裏に置いてあるなんか旧そうなタンデム自転車の写真でも撮っておこうかとよく見てみたらこいつがタダモノではなかったw

リアがド・ド・ドラムブレーキwww(個人的にはフレームエンドがママチャリ的でなく味わい深いw)60年前のカブつまり原動機付自転車と同じブツらしいw

いやまてよリム側にはシングルピボットのキャリパーブレーキもついてるぞ?

なんとストーカーのハンドル左のみにブレーキレバーがw

前席パイロットは前後ドラムブレーキを操作し後席ストーカーはリアのシングルピボットを操作する由。そういえばあの当時(ていうか今でも)原付で二人乗り(重たい)なんてなかったわけで、つまりパイロットが60年前のプアな原付ブレーキを握って「くお〜!!ぶつかる〜!!」となったとき、すかさずストーカーが左ブレーキを追加するわけです。なんてスリリングな60年前www

これまたシンプルで素晴らしいパイロットとストーカ間のテンショナー。これKHSのT-20だとBBがでかいBBの中に組み込まれてBBに遊星ギアみたいな動きさせてテンション取ると言う複雑怪奇で言ってる方もワケが分からない方式なんですよ。絶対こっちのほうが簡単で良いって(まあKHSが想定してる外人の馬鹿力だとコレじゃもたんだろうなw)。

そんなわけで丸石の60年前のタンデムバイクは全体を見るとできるだけコンパクトにしつつフレーム剛性に気を遣っていたり二人分の重力を支えるために今なら流行りのファットなタイヤになっていたり、ただですら公道許可がない時代に、メンテナンス性や重量にハンデが生じてますます売れなかっただろうな~。という話でした。

玄関開けたら150km。

東京から引っ越して3年。あまりの舗装状態の悪さ、タイヤ・ホイール・コース選定を経て、ようやくいつでもチャリで150km(700mの峠つき)を走れるようになりました。

もう陽が短いので朝7時前に出る。田舎の焚き火と岩日線である。

前回寂地峡行ったんなら松の木峠登らなくてどうする。ということでここから先の話。岩国側からだと寂地峡から高速道路をくぐるまでの直線が一番斜度があってキツい以外は全行程ゆ~るゆるでクルマも少なくオススメ。廿日市側からだと坂もクルマの量もキツいと思う。中国山地特有であるがこの峠も登ったところで何もない。

松の木峠のElephant Sweetsというお店で最近栗の渋皮をどうするかで悩んでる女房に渋皮煮を買って自宅で食ってみるの図。渋皮が全然渋くない。

峠から先は基本下りなのでやりたい放題w行政の質も違うらしく岩国市の暗黒の雰囲気から廿日市市のぱあーと明るい雰囲気に変わる。久しぶりに70km/h出す。道の駅スパ羅漢で昼食。

30年ぶりの岩国市民だが広島市の佐伯は全く知らなかったので山の中に結構な街があってビビる。写真に撮ってないが今回186号線を走るつもりだったのにこの佐伯のカタツムリまで来てしまったのは186号線がアチコチで片側交互通行になるほど水害で舗装が崩れており、とうとう津和野街道の交差点で行き止まりだったのだ。田舎バンザイとか言いながら地球温暖化でもうすぐ終了の悪寒もする。

このカタツムリからほど近いセブンイレブン広島河津原店の交差点を南に下がって渡ノ瀬ダム→マロンの里→弥栄湖→山代湖→コッチネッラと進む。コッチネッラではセルフ焚き火の100円コーヒーを所望したが「今日は暖かくて3時で焚き火片づけちゃいました」。寂地峡あたりで20℃切るぐらいで寒くてそれ以降ウルトラライトダウン羽織ってたんだけど下界の住民にとっては10月22日はポカポカ陽気だったの由w

真号(suzuki sepia ca1ha)がやってきた。

鼠径ヘルニアと山陽本線のあまりの止まりっぷりに自転車で通勤できないとき用にとヤフオクで2万だったので買っちゃいました。2stはいいぞ!188号線を通って下松から岩国まで戻ったけど、田舎は二輪と言えばエンジン付きなのも分る。気持ち良い。

寂地峡まで行ったらLEZYNE MICROが電池切れw

16日に4回目ワクチン接種希望なので前日15日にピュアラインにしきから寂地狭まで走ってみたのだがとにかく坂が緩くておどろいた。リカンベントの練習には良いのだがロードバイクと一台もすれ違わなかった。ロードにとってはこのコース、なんの練習にもならないだろうなあw

結構ショックだったのはカタログスペックで14時間駆動のlezyne MICROがたかだか8時間130kmのライドで電池切れ。前日PCに接続して満充電マークが出ないから「あーダメか」と思って電源入れたら99%充電の表示が出ていたのだが…ちょっとこれではスポーツ用途としては使い物にならない。

寂地峡では菩提樹というお店がやっていて鮎の塩焼きに一瞬心が動いたが20分待つのもめんどくさいし紅葉に妻と二人で来たときに注文しよう。ということでわさび丼を食べる。ご飯にわさびがかかっているだけだが結構美味かった。

鉄のことはようワカランので多分だけど岩日線の跡と思われる建築物がちらほら。日原まで鉄道があれば、あるいは広浜鉄道がつながっていれば日帰り自転車遊びもやりやすかっただろうに。乗り捨てレンタカーという手もあるけどraptobikeじゃなあ…

前回感動したコッチネッラのセルフ焚火サービス、気温がLEZYE読み(+2℃ぐらい誤差がある)で30℃では誰も居なかったw

岩国市民は島根と鳥取の区別がつかないのに来年の干支の写真材料が欲しいってんでわざわざ鳥取の白兎神社に行く。

午後2時の道の駅あわくらんどの様子。雨である。ついでに着いたら夕方だ。これは撮影旅行としては絶望的である。

着いたら意外と明るかった。妻のニコンの骨董品D80が火を噴き始める。

突然日本海に因幡の和邇ならぬ数多の波乗り野郎を見つけた妻は狂ったように撮影し始める。流石昭和の写真部。腰つきが違う。ところで兎はどうした。

ちなみにこのブログはわしのTORQUE G04である。携帯電話のカメラがコンデジを超えたとビックリした機種。

白兎神社の消毒兎様は物凄いドヤ顔のまま逝かれて居り傍らに手動の吐出器が置いてあった。

明けて翌日。なにかに取り憑かれた様に市中の兎像を探し出し撮影する妻。ちなみにこの像はホテルにて「彫刻ロードで彫刻を探そう」の案内パンフで見かけて散々苦労して見つけた。岩国くんだり意図通りの彫刻探しをする酔狂な観光客が現れ石像達も浮かばれた瞬間である。ちなみに右手は中海でクソ寒い。

このままでは昭和のカメラマンとレンズ持ちが野良犬のように鳥取県をうろつきまわっただけなので大山の桝水高原にて。この断崖絶壁みたいな名前のチーズは栃木県の畜産酪農研究センターで売ってる奴が美味かったのでこの旅唯一私が笑顔になり飛びついたのだが、うーん。美味いと言えば美味いのだけど栃木県のほうが美味かった。ガンバレ島根県!!

大山から眼下に広がる風景を観ながら、あれたぶん松江だよね。堺市でしょ。と老夫婦はすでにここがどこか分からない会話を繰り広げていた。

22H2のタイミングでwin11にしてみましたが

21H2だとフォルダアイコンにフォルダ内の絵がでないとのことで「冗談ではない」と。winXPの頃からsusieプラグインでフォルダ内の絵をサムネイル(死語)でフォルダアイコンに出すために我々50代の人間がどれほど苦労してきたのか最近UNこIX畑からMSに来た連中は何も知らないのではないかと思っていたら22H2で正常な状態に戻ったとのことでwin11にしてみました。

「ほうこれがwin10で永遠にと言っていたのに32bit切りたいからwin11にしますと素直に言えば良いものを言わないで沖縄左翼東京SDGsマスコミみたいに知らんぷり決め込んだwindows11と言うものか」ちとモッサリな感じはしますがまあおおむねOK。https死ねとは思いますがそれも20世紀のインターネットの良い旅夢気分なおもひでを諦めれば良いだけの事。一番困ったのはELECOMの安物キーボードとセットのマウスがプッチプチプチフリーズする現象が頻発したこと。結局改善策は「物理的にキーボード・マウスセットを替える」でした。

↑これがwin11だとカックカクになったマウスで

↑こっちがまあ普通に動くやつです。メーカーってより相性だよな…

しかしこのマウス&キーボードの入力デバイスの話、8bit時代のレスポンスの良さに比べて戻ることのない劣化が気になります。アドレスバーにキャレット映って平気でマルチバイト文字入力がデフォなMS日本法人は竹書房以上に爆破されても良いはずなんですがまだそうなっていません。