目ん玉抜糸して高知市をタンデム自転車KHS T-20亜美真美号でコンパクトシティ観光。40数年ぶりに足摺海底館を再発見。

ドラえもんみたいにわずかながら空中浮揚しているが、これは40数年前まだ家族が比較的マトモで私にも人間らしい心が残っていた頃、家族旅行で見た足摺海底館を再発見できたので狂喜乱舞している図である。学生時代からWEB時代まで”足摺岬”で検索しても見つからず今回陶芸の師匠から竜串海岸を勧められて見に行ったらあった!の巻。いや名前おかしいだろ海底館w

さて今回の旅行は、このごろ四国ばかり行ってるけど「沢田マンションが見たい!お前だけ社員旅行で高知市行ってズルい!」という妻の訴えにより右目が抜糸したばかりだけど一応医者からOKが出たので高知にやってきました(本当は金毘羅さんも行きたかったけど1300段も登るな13段ぐらいにしろと言われた)。高知市内をホテルからKHS T-20亜美真美号でコンパクトシティ観光しようという算段。しかし亜美真美号は折りたたみの際チェーン脱着がめんどくさくて暑いなか苦労する。その位この日の高知市は暑かった。

沢田マンションはまあ一般の民間の敷地なのであまり言及しない。とりあえず無事に見学を済ませてある程度満足な妻と腹減ったんで回転寿司で食事。マジで暑いのでお湯ですらガブガブ飲んでしまう。

はりまや橋、ひろめ市場、高知城と阿見真美号で高知市内を回る。日曜市は残念ながら午後3時過ぎでは既に終わっていた。道が広くて交通量がそんなに多くないのでタンデムで車道を普通に走れてかなり良かったです。しかし写真の汗の様子から分かるが気温が尋常ではない。自転車素人の妻はもちろん8年前福山から愛南町まで往復600km走った俺も今や老いのため人工物になった右目が保護メガネで蒸れまくってて桂浜は断念した。そういう意味では温暖化をくいとめるための自転車も温暖化によって役に立たない悪循環を認めざるを得ない。

地球の未来を悲観しつつホテル帰還中オサレ雑貨屋を発見。趣味は合わないがレベルは高かった。こういうのが徒歩の速度で移動しててポコポコ見つかるのは都会的で良いのだがいよいよ暑さでうふふ提督さんの幻聴が聞こえはじめる。そういえば高知市に入る前に鉄道を227系が走っとる!さすが高知。単線だけど電化してるのね。と宇部&小野田線がある山口県民だけど岩徳線沿線住民になってしまった元都民が複雑な感情を抱いて居たら2700系というパチもんらしかったw

で車のクーラーで身体を冷やして妻もう一つのご所望の桂浜である。しかしおいそこは竜馬の尻じゃ。いくら昨今の歴史の見直しで幕末の志士かパチもん臭いとは言え真正面から記念撮影せんかい。と思ったら「興味ない」との由。そんじゃ何に興味があるのか聞くと「太平洋はしょっぱいらしいから味を確かめに舐めに来た。桂浜はどこだ」バカすぎて笑う。

青いパラソルで椅子に座って見張ってる(写真左)警備のおっさんから音声が割れて全く聞き取れない拡声器で「〇△□※§…!!」どうやら遊泳禁止なのにすわ海に近づく不埒アジアンめと怒鳴られ太平洋を舐める志(こころざし)を失い逃亡する妻。曰く「せっかく舐めてやろうと思ったのに…もう舐めてやらない(原文ママ)」マジほんまさらばのライブより下品で面白いわお前w

さてホテルに戻り妻は何かを舐めるのに失敗し俺は暑さで自転車による桂浜上陸を失敗したものの総合的には高知市観光にまあまあ成功したわいと居酒屋を探してウロウロしてたら良い居酒屋見つけるのは歴戦の猛者ぽいリーマン二人がひょいと入っていった「せい和」という居酒屋にてウツボを喰う。美味い。俺はカツオのほうは全然わからなかったが妻は「このカツオは美味い」と満足の様子。味も値段もアタリの良店であった。

なんかホテルでいちゃついてたら皆既月食だった。なんか盛沢山だな今回の高知旅行w

明けて翌日足摺岬である。150kmのドライブでコンパクトシティはどこへやら。

「太平洋舐めないの?」「虫がいるからやだ」と訳の分からない会話をしつつ陶芸作家なら見ごたえのある竜串海岸を鑑賞していると遠方に(写真右)いかにも1970年代の建築物を発見!!これが冒頭の海底館であった!!

なんか浸水したけど営業再開しました等の張り紙がしてあって四国の連中この建物結構大事にしてるんだな~感がして良かった。なんのことはない海の中が見られるだけなんだけどやっぱり楽しい。今回は割とマジで会話ができる家族と一緒だからだろうか。

なかなか濃厚だった四国を後にする。あまり夜中は走りたくないので平日深夜の山陽道のトラックの多さにビックリした。一人であのデカいトラック運転してる人たちがたくさん居るなか俺たちは二人でなんとか睡魔と戦いながら帰り着くことが出来た。

オウムアムア、2I/Borisov、3I/ATLASに続く恒星間天体ピザーラ・キャラバンが中央フード高森店に出現(2回目)。

都内に住んでた身としてはやっぱピザ屋欲しいなあ。24時間営業のマックも。中野にサルバトーレがあったころはピザーラなんか豚のなんかって言ってましたが年に数回しか食えないとなるとパンガシウスみたいに「うまいうまい」と食うようになりました。

網膜剥離の空気の玉、最初は視界の半分以上を占めていたのがだんだん空気が抜けてバラエティー番組のワイプみたいな頃はまあ視界が2割から3割ぐらい遮られてる頃はステータス見てるからしょうがないねハハハとある程度我慢できたんですが今や完全に一つの敵キャラぐらいのなんか作業中に気を引くにはお手頃サイズの大きさになって視界を動き回ってて例えばピザ食って顎なんか動かした日にゃ視界の下の方でひゅんひゅん動き回ってて邪魔になってしょうがないw

半田繁幸の右目、人工物になるw

手術して3日目。まだ空気が入ってて視界内でぷよんぷよんしてます。水晶体と硝子体は砕かれて吸い取られ今多分樹脂かシリコンが入ってます。シリコンが目の中にはいるとき「みにょ~ん」って見えてましたw 関係ないけどいりこ食ってたら今度は銀歯が取れた…

田舎あるあるw陶芸の師匠から4WDを無料で譲ってもらう。ついでに山口県が西京県と呼ばれる所以のぼっくり屋の中古自転車パーツ売り場でリム買い放題。

日産党なのにjoker90に続いてまたホンダ。アクティトラックHA7を譲ってもらった。人生初の軽自動車にして四駆である。しかし陶芸の師匠が「半田君に譲る前に車内掃除してたらエアコンのツマミを吹っ飛ばしてしまった…」と嘆いていた。エアコンのツマミが劣化して取れるのはHA7あるあるらしい。なんていうか乗ってみても低速や坂道がトロくて平坦の伸びを感じるとホンダは何を考えてこんなトラック作ってたのか。

でまあ周南まで買い出し。山口県がそこらへんのクソ田舎と違うのは中古チャリパーツのお店があること。これは大きい。広島や岡山なんざ文明的に余裕で超えているのは確実。しかも今回、自転車の師匠からホイール組みを学んだので今まで手がでなかった車輪コーナー選び放題。32穴程度の700cのリムないかな~と思ったら28穴のALXRIMのR390セットで3000円をゲット。ファニーで前後R390なのも乙なものである。高円寺に住んでいたころ出会ったぼっくり屋のサイクルパラダイス、永く続いてほしいのだが…

今治公会堂にさらばのライブをとびしま海道で見に行く。

逆張りが人生の趣味の自分としては旧陸軍こそ論理的で海軍は菅ちゃん増税メガネやアホ石破と同じ「海外の価値観に勝てないタイプの日本人」だと理解している俺にとってあまり居心地の良い場所ではない呉の、当初妻希望のruokalaという食い物屋に入りたかったのだが閉まっていたので慌てて近くのタニタカフェに飛び込む。が、結構美味しかった。

なにを慌てていたかと言えば今回の旅のメインは「とびしま海道の1日4本しかないせきぜん渡船に乗ってみよう!」だったから。「クレアライン」という今まで自治体の決めたクソダサネーミングとしては間違いなくトップ独走だった「とかいなか栃木」をはるかに凌駕する超クソダサいネーミングの道を飛ばして岡村港13:30の船にギリ間に合う。こうして時刻ギリギリのK12マーチを見るなり「ほい、長さなんぼ~?」と聞いてくる港の人たちは手慣れたもんであった。

2017年3月の夜はじめての600kmブルベで死に物狂い。というか雨が降り始めて半泣きでゴールの福山目指して走っていた橋を日本初の三胴型フェリー第二せきぜんから見上げて感無量である。さて結論から言おう。せきぜん渡船の小型車片道料金2,830円は確かに魅力的な価格であるが、本州から岡村島にたどり着くには安芸灘大橋を渡らねばならずその料金が小型車730円なので、やはりしまなみ海道の高速道路料金(ETC割引)が最強なのであった…

あとはまあ普通に観光する。別子銅山銅山記念館は見ごたえあるな~と思ったら住友金属のルーツだったのねw

なんかカワイイ汽車があるかと思ったら東洋のマチュピチュあたりを走っていたのかと思うとラピュタみたいでワクワクしますな。ただマイントピアとかネーミングセンスがダサくてどこに軸足おいて売り出してるのか分からないし、見る側のこっちも何を見に行くのか分からない。普通に住友金属発祥の地でアピれば良いと思う。

なぜかと言うと現地までの道が険しいからだ。ラピュタやマチュピチュは勝手にみる人が思えば良いだけの本質は日本の産業発展に思いを寄せる真面目で厳しい鉱山見学である。

なんか観光らしいことしたので本日の宿ホテルマックスビジョンは着いてびっくりガチのパチ屋で民度が気になったがエレベーター内ですれ違う人々も礼儀正しく大丈夫だったw
お向かいにある七彩という居酒屋で石鎚という日本酒が美味かった。

開けて今治へ。湯ノ浦温泉四季の湯ビア工房で温泉に入る。なんていうかWIXかなにかでこさえてるwebpageの印象と違ってかなり寂れててお風呂場に石鹸がなかったw
お食事もお目当てのピザが11時からでさらばのライブに間に合わないw

なんだか行きしと同じでドタバタしつつ今治に着いたら今治市中心部は松本町大作戦とかフェスみたいなのやってて混んでてさらばのスタッフが「この先の小学校に臨時駐車場があります~」と言っててどうやら旧日吉小学校のことらしかった。ギリギリで駐車できたので珈琲道場でドリア食ってコーヒー飲んだがここは落ち着けた。

で生ひょうろくさんを間近で見て後日つべで「よりによって重い日に」とか言ってたけど今治市公会堂の音響が悪くてブクロが何言ってんのかさっぱり聞き取れなくてマジでいびき掻いて寝てしまった。そんなに内容は悪くなったと思う。しかしAI動画のPVがどうもしっくりこない。今は誰でもAIでメディア作れるから「とりまグッズ売りたいんだろうな」とか思ってしまった。いやさらばみたいな連中がグッズ売って何が悪い!(ラピュタのドーラの声で)とは思うんだけど、しかし、じゃあお笑いライブの合間に見せられて面白い動画かと言えば、荒川でドタバタやってたビデオのほうが新宿のクソ汚ねえ劇場シアターモリエールに似合っていたのは、間違いない!

風邪引いたので津和野に向かって70km程度走ってみたら「糧」という明治大正の病院を保存した野菜料理レストランがナニを小癪な(椎名誠風)感じだった。

やよい号では諦めたコンパクトクランクがもう手放せないraptobike美希号で周東町から津和野までのゆるい登りを70㎞ほど走った。ものすごい晴天のなかで何人ものモト・人力問わずライダーさんたちと笑顔でアイサツを交わすような人間になってしまった。津和野手前の徳佐の9号線沿いのセブンイレブンで日産マーチの妻と合流。風邪を飛ばすにはちょうどいい機材とコースであった。

で徳佐からは20㎞、津和野から10㎞の「糧」というお食事処へ。割と津和野駅からの道は山道あたりは山口の歴史を調べるとなにかとちょっかい出してくる吉見氏の領地っぽく「へえこのへんの人だったのか」と感慨深い。とか思ってたら「堀庭園敷地内 旧畑迫病院」なる建物があって明治に畑迫村の堀さんが鉱山で財を成したため地域のためにと大きな病院をおつくりになられた由。それを保存してレストランとしていると。これは面白い。

病院、医食、まあ薬膳ぽい?ということでお野菜が中心のようだ。カレーの、写真で言えば左半分は美味かった。もう一回来ようかな。と思うぐらい美味かった。

ビュッフェの女房が帰って来て俺にお皿をごろうじる。正直自分の様に自転車に乗ってる(体重を気にする)人間としてはいろんな野菜がアレコレてんこもりになって出てきてちょっと狂喜。

デザート。ああ季節のアジサイね…そういえば今年は梅雨明けが6月末で「あらここらへんの葉っぱの塊、アジサイだったのか」という山道がいっぱいあった。雨が降ってる時期に山岳コース走るわけないからなあ…とか思いつつゼリーほじくってたらムギが入っててなんか甘い。これも意外で美味かった。このあたりでむむっと思う。これはこの手の施設でかなり上手いことやってるなあ。

食った後適当に明治大正昭和と病院だった建物を見学。面白い。くっそー山口県の粭島の小学校なんかこれ以上にカッコいい建物だったのに取り壊されたんだよな…あと本郷の市役所支所のカワイイ建物も影も形もなくなってしまった…島根県がうまいことやってるのはくやしい。隣の県民としてくやしがるべき。

メチャクチャ面白いわけではないですよ。歴史資料としてはもっと切り込んだポスターが欲しい。しかし、建築は本物なので高圧電気とか天窓とか水回りとか、環境省辞めて広島でドカタやりはじめた身としてはやっぱり面白い。

そんで津和野駅前の喫茶店でコーヒーしばきつつ鷺舞みようぜと涼んでいたら煙が見えた。マスター曰く「SLが16時に出る」そうであわてて撮影。我ら夫婦ともども蒸気機関車が動いているところ見るのは初めてで興味なくてもやっぱり良いもん見たなあ感は半端ない。迫力もあったしなにより音がでかくてかなりビビる。D51200は「あだち勉物語」であだち充が昭和40年代に兄から400円で依頼され描いたSLである。つまりコイツはあの当時から記念碑的存在で19歳がちょいと絵の資料にする雑誌に出ていたのだろう。

で鷺舞のほうは暑くてついていくのが大変でした。おじさんが汗かきながら頑張ってました。これは津和野一日見るものてんこ盛りですわ。妻のお陰で「糧」を知ることが出来て良かった。

厳島管絃祭に行ってKHSのT-20亜美真美号で岡山の羽山第2トンネル行ってしまなみドルチェ行ってきた。

東京に居た頃なんちゃあ「風の盆」とか言って富山の祭りが話題になっててまあ都会人が地方の祭りを云々言いたがるのは正直胡散臭かったが、そんな地方の特殊なお祭りみたいなのが宮島にもあるらしく女房が行こう行こうとうるさいので行ってみた。

7月11日金曜日の夕方、会社へは電車通勤しJR阿品駅で妻と合流し広電阿品駅へ向かう。もう40年ぐらい前小学校に入ったか入る前かの頃ナタリーに行った記憶があるんだけどそのときここを通ったのか通らなかったのか。

なぜ宮島口ではなく阿品で広電に乗ったかと言えば地御前駅で降りてこの地御前神社での厳島管絃祭を見るのが俺の希望だったから。国道2号線からなんかでかくて立派な神社があるなあ。と思ってたら地御前神社だったので前から行ってみたいと思って居たのだ。

でかい玉串。ニンジャマスター・ガラの手裏剣並みである。聞くところによると宮島が禁足地だった頃この地御前神社が宮島神社だったそうな。立派なわけである。

我々は厳島管絃祭がどういうものか全く知らない。栃木出身の妻は「厳島(宮島)に行かなきゃ」と思っていたようだ。とにかく地御前神社では人だかりも屋台もそこそこあって夏祭り感は十分存分に味わえたので満足である。

お祭りのクライマックスは宮島からなんか怖いお兄さんがいっぱい乗ってる船が来て子供たちにモチ撒いて神主さんが祝詞をあげてまた宮島に帰っていった。そういうお祭りであった。どこかで地元住民らしき方が「ことしは明るいね」「7月11日は(旧暦でズレて)早いね」とか話していた。

で次の7月12日は岡山に羽山第2トンネルという珍百景をyoutubeでことさら秘境っぽいことが強調されていた場所へKHS T-20亜美真美号を車に積んで行ってみた。高梁市成羽複合施設たいこまるプラザから6km弱の、タンデムによる二人力の恩恵が得られる程度には斜度がある山道を登った場所であった。最初妻にパイロットを任せて俺はストーカーやってみたのだがあまりの妻の自転車を漕ぐ動作の無駄の多さに呆れ果ててしまった。警察の交通安全のビデオでお巡りさんが自転車に乗ってる(ていうか自転車の上でなんか足をふにょふにょさせてる)ビデオを見せられてる気分だった。

まあ素人込みタンデム自転車で危なっかしいことなく登れるお手頃観光地としては見ごたえがあった。これが妻みたいな自転車素人ひとりだと無理ですね。かと言って俺みたいな自転車玄人だともっと数十キロのコースの一部にしないと全然物足りない。KHS T-20夫婦コンビがたまにタンデム車を動かす理由としてはちょうど良かった。

とりあえず宿の福山センチュリーホテル近くの居酒屋てっぺいで飲んだ喜平ってお酒がなかなか美味しかった。いぶりがっことかトマトとベーコンの串焼きとかワシらが大学卒業~都内に就職したころの定番メニューが生きててこれも美味しかった。

最終日7月13日は予定がないので「しまなみ海道でも行くかあ」と生口島。しまなみドルチェは初来店。肉まんも食った。なんか夏休みっぽい。

俺がランドネきたかんで初ブルベ体験して「なんでこんなバカなことをしている人々がいるのか」と思ってた頃始まった「ろんくらいだあす」の色紙もあった。

ついでに1本ぐらいしまなみ海道の橋渡ってみるかということで多々羅大橋を渡ってみた。夏っぽいですね。すごくさわやかだがこのころ厳島管絃祭でノーマスクだったので訳の分からない夏風邪に身体を蝕まれていた…