上関のつぎは下関の数方庭祭に行ってみた。

今回の旅の宿のKOKO STAY下関に着いたらいきなり周りはえっちなお店だらけで「ここはオレにまかせろ」と散歩してみたのだがなんか見たことがあるなあと思ったら松田優作が通ったというちゃんぽん屋の「大阪屋」があった。ちなみに私は探偵物語の同和病院ビルも筑波大に受かったその年に秋葉原に行くついでにギリ解体前の実物を見ている。写真も「写ルンです」で撮ったはずだが銀塩なので失くしてしまった。

そして今年の下関の話題と言えばなんと言っても限界ニュータウンで有名な吉川祐介氏がyoutubeでその筋の専門家ではなく一般人にも分かる様に「何故価値があるのか。なにが古いのか」を広めてくれた日本一古い分譲マンション「下関第一ビル」である。山口県からノコノコ芸大じゃないほうの美術系国立大(筑波大)に受かって東京の同潤会ビルや宮益坂ビルを見て「ほほう」と思って居た身としては割と地元にこんなすごいものがあることを教えてもらって有難い。見物してるのは俺ら夫婦以外誰も居なかった。

今回もアテンザワゴンに真号と春香号積み込んで秋田商会ビルとか古い建物めぐり。写真は亀山八幡宮の結構な(俺の8速化animato CONG真号の前輪が浮いた)坂を前日チェーンの長さがメチャクチャだったのを調整してヨシこれならマトモに進むだろうと思ってた9速x2のDragonbike Rifle AK20春香号がさらばのブクロ並みに変速操作が不慣れな女房乗せてスイスイ登ってくれたので妻以上に内心笑顔でガッツポーズの俺。まあこういう神社は残るだろうけど大阪屋や下関第一ビルは残らないだろう。何とかならないもんかしら。

そんな残らないものばかりじゃなく全ての取引記録がガッツリ残る暗号資産を利用したステーブルコインJPYC決済が出来るお店がなんと山口県つか西日本にもある!ということで元祖しもやき本舗さんところでMETAMASKでやろうとしたけどダメでした(HashPort Walletのみ対応らしいっす)。岡部さんもうちょい頑張ってよ。

で安倍昭恵さんも当日参加されてた数方庭祭。妻は単純に天下の奇祭を楽しんでましたが私はネトウヨなのに仲哀天皇と神功皇后の関係は新羅系のクーデター以外になにがあるのかと思って居るのでなにかネタはないかと探しまくったが分かるワケがない。しかし山口県こと長門こと穴戸(ANATO)は後述する大寧寺の変と合わせて中央(YAMATO)との反逆の歴史を綴る土地なのです。

祭りも見たのでKOKO STAY下関内にある美食酒家ゆめぜんで夫婦二人で1万円ほど飲み食いする。日本酒が充実してるので日本酒飲みには良いがちょっと盛り付けが寂しく素人目には不満が残る。材料は良いものを使っていると思う。

明けて響灘でも見ようぞと角島なんぞ目もくれず土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムに行ってみた。とにかく道案内が美川ムーバレーより酷くアテンザワゴンを老人ホームにツッコませたりしながら駐車場らしき場所にアテンザワゴンを停めると最初に目に入る不気味なオブジェは?と思ったらエアコンが故障中で自然派左翼にはちょうど良い室温の館内で平成初期の3Dメガネをかけたら支那の場面から始まるあの左翼どっぷり時代の動画を見ると理解して割と感動する。

で土井ヶ浜ドームなんだけど平成2年に出来たらしく自動ドアじゃないし片側のドアは重たくて開けるなとか言ってるし空調はないしボロボロなのだが文句があるのはボロさではなく、なんで遺跡を保護するドームにわざわざ土かぶせて草生やしているのかの説明が皆無に近いこと(少なくとも我々は目にしなかった)。発掘前はこの辺はこうだったよ。掘るの大変だったのよ。と道案内以上にアピールすべきじゃないか?

で運営方針にムカついてたら腹減ったので該当施設に入るとき最初に見た看板でなんか食えるみたいだけどどこよ?と「ほねやすめ」で食事をしようと思ったがこちらも案内が骨にハートマークだけでよく分からずまた少し迷う。

やっとたどり着いた食事は上関の道の駅の上関海峡亭よりはるかに美味かった。貝汁なんかドライブインみちしおよりずっと美味い。我々夫婦以外誰も客がおらず十分に食事と休憩を楽しんだ。これがなかったらニコニコして下関市を後に出来なかったよ。

そんでもっていよいよ私的には念願の大寧寺である。大内氏は山口遷都の夢を見つつ、ここで滅んだのだ。元祖瓦そばたかせの湯本温泉にあったのね。今回はじめて知りました。

ついに念願の上関のモンサンミシェル(小山)に到達。しかし帰りに寄った道の駅上関海峡の上関海峡亭の食い物が不味くて旅の思い出が台無しにw

前回の反省を踏まえ長靴に軍手、そして写真にはないが枝や草を刈る器具の完全装備、身体に虫よけスプレーを厳重にひっかける。

余計なchinaアプリが携帯に入らない様に使ってる台湾Brytonが測位に苦労してますが概ね中ノ浦海水浴場から国土地理院の破線通りに行けば秘密のぷらいべいとびいちに出られます。

これは帰りに撮影した画像だけど画面右の水たまり跡から水が画面左に向けてあふれたらしく道がえぐられ高低差1mの凸凹になってて難所と言えば唯一の難所。当然チャリンコは途中で遺棄。ただしチャリの買い物かごは運搬用途としては重宝した。

ついに到達した上関のモンサンミシェルこと小山である。砂浜はなくゴツゴツした石ばかりで火星のキュリオシティ気分も味わえる。正直かなり労力を要したので妻は不機嫌かと思ったが誰も居ない場所にあって引き潮を見計らって得た紛うことなき陸繋砂州の風景に「すごい」「良かった」と言ってくれた由。潮風が強くそんなに暑くはないが日陰で休むのは折り畳み椅子を持ち込まない限りちょっと難しい地形。飲料水持って来た俺はエライ。

さてプチ冒険気分で満足した帰りに腹ごしらえということで道の駅上関海峡に寄ってみたのだがここの上関海峡亭が牛すじカレーも海鮮丼もクソまずかった。いい旅夢気分が台無し。

入口の右側にある狭小店舗の「カフェレストラン 瀬里家」の出店のデザートは美味かった。この狭小店舗のお向かいの案内所みたいなところにある有料のコーヒーと合わせると十分口直しになった。うどんとかも売っていたのでここのを食えば良かったと大後悔。

大分県に行ってホバークラフトに乗りました。

いつ営業終了するか分からないので乗ってみた。まあ人生で1回乗ってもいいでしょうわしら50代が小学生の頃学習雑誌で見たホバークラフト。別府湾周遊コース一人2,000円である。超信地旋回みたいな動きが良かった。

で大分県なんぞに特に見るものはないので別府タワーがあったので寄る。割と面白い。お土産二個も買った。あ、そういえば最近ゆめタウンで売ってる大分のヨーグルト、あれは美味い。

さらに高速に入ろうとしたらグローバルタワーが見えたので登ってみる。設計者の磯崎新と言えば我々悠仁親王の先輩である筑波大卒業生にとって所縁のつくばの第一ホテルであるがどことなく篠田守男と似てるテンション&コンプレッションぽいデザイン。どっちにしろ別府のお人は高いところが好きと見え好印象。

宿は宇佐ホテル リバーサイド。ホテルから2kmぐらい歩いてたどり着いた「個室酒場はまっち」は新宿の朝鮮人経営の個室居酒屋でぼったくられて酷い目にあったがここは大分宇佐のド田舎でどこのどういう種類か知らないが日本人の若者が出入りしてたのでこの店を選んだ。上品な味ではないがボリュームが良い。特に豚足がすごかった。旅先の居酒屋としてこれなら満足である。

宇佐と言えば八幡様の総本山。片参りにならないよう2回もお参りして300円のかき氷食って小銭がのうなってこの旅も終了w そういえば無料駐車場がことごとくチェーンで入れなくなってて大分のヤクザチンピラ頑張ってるな思いながら400円払ったw

奈良、サローヤン、ゆず茶。

中、高と修学旅行は九州、東京だったので奈良は初めて。齢55歳にて東大寺のでかさにビビり、そしてすれ違う外国人どもに「お前らガイジンの国は日本以下なんだろうなwww」と株価以上に優越感半端なく大変有意義でした。

まず山口県の自宅から高速道路を400km以上走って斑鳩町三井観光自動車駐車場に着いた。公衆トイレの他は平日とは言え誰も居ないセキュリティが心配なぐらいの駐車場であった。

ここからテクテク徒歩で法隆寺を目指す。自動速度調整機能つき3ナンバー車とは言えワシ一人で400km走ったあとなので結構疲れてたのだが奈良のド田舎のどかさに癒される。

道中の様子もなかなかすごい。ワクワクさせられる。これは古都奈良の貫禄を見せつけられた。岩国市の城下町にもこうした壁もあったのにほぼ全部ブチ壊して訳の分からない昭和時代の公園にして多くの遺産を失っている。

ともかく昼食を。ということで女房がこれまた世界秩序破壊の急先鋒iphoneを取り居出しておすすめ「ギャラリーカフェ 鵤樂舎」に入ってみた。「OHAKO」はなかなか他では味わえない細かい技を繰り出す感じの味で美味かった。パスタもデザートもあって夫婦二人で6400円はまあ安い。ここは宮大工小川三夫さんの所縁の家らしく西岡常一氏とあわせて簡単な説明をしていただいた。

日本人として法隆寺を初めて見る。五重塔と言えば山口県人としてはまず瑠璃光寺の室町時代の完全和風に完成された五重塔を思い浮かべるので「これ日本ちゃうやん。完全にchina様式やん」が素直な感想だった。おそらくchineseがみたら「懐かしい」と思うであろう古臭さと無骨さにこれから世界に打って出ようとしてた飛鳥時代の大和王朝の若々しさと猛々しさを感じる。

さて今回ABホテル奈良で運よく入庫できた俺一人で400km以上走ったGJアテンザワゴン。今まで日産マーチだと二人で高速走る作業を分担だったのだが自動速度調整機能で一人で乗り切ることが出来た。さすがに疲れは感じたが一度味わってしまうとコスト面から鉄道旅も遠のくし今後車を買うにしても自動運転支援機能がない車には乗れない気がする。

JR奈良駅歩いて5秒ぐらいのホテルだったので奈良駅でお土産買ったり「ゆるりJR奈良本店」というお店で呑む。そんな悪くはないけどせんべろ系だったので失敗だったかも知れないがまあ夫婦で酒そこそこ飲み食いして7,610円なら良いかも知れない。

そうして2日目ABホテル奈良の朝食に感動しつつ午前中は奈良公園と東大寺で人生初の大仏様も拝むことが出来た。写真は筑波大芸専卒として見ておきたかった南大門。

大仏殿には重源さんの説明もあって良かった。

興福寺の五重塔は工事中だった。ここでも阿修羅像など教科書で有名な仏像を肉眼で見れて大いに喜ぶ。

天極堂奈良本店で昼食。観光地のど真ん中なのに美味しくて量もあって夫婦で5,615円。デザートの葛も美味しかった。ここで午後から俳句の会に参加する妻とは別行動に。

一人となった午後はまず「グエルバイシクルストア 奈良本店」にて406の自分で組んだホイールのテンション調整を依頼。結局夕方に「このままじゃ危なくて手渡せないのでフレ取りもしました」とけちょんけちょんに言われながらも前後で8,000円で安全完璧に生まれ変わったホイールを手にする。奈良はホイールメンテもバッチリ出来るちゃんとした自転車屋さんがある大都会であった。ただ横田交差点からグエルバイクまで斜めに伸びる旧24号線はGJアテンザだと狭くて泣きそうなクソ田舎道であった。

グエルバイクの皆さまがわしのクソホイールに悪戦苦闘してる間に張本人は石舞台古墳までサイクリング。その日の宿は「ビジネス旅館やまべ」安宿のつもりだったがなかなか居心地の良い宿であった。近くのローソンで買った酒飲んで寝ようとしたら妻から「今から夜の奈良で会えない?」とまるで学生時代みたいなLINEを受け取る。どうやら俳句の爺婆連中がとっとと寝てしまったらしい。だが飲んだ後なので断ってサローヤンの人生喜劇を開いた。あまりの昭和左翼臭さに準主人公が「千歳の岩」を歌い始めたところで脱落。

夜が明けて妻と合流し奈良を出る。行きはある程度余裕があって速度を85キロに設定していたのでリッター30kmいくんじゃないかぐらいの勢いだったのだが帰りは「夜7時までには帰りたいなあ」と焦ってしまい設定速度をムニャムニャキロメートルにして結果20.7km/lであった。身体も結構疲れた。吉備SAのサンマルクカフェでコーヒーを注文したら隣で妻は「ゆず茶」を注文していた。自分はこんなものを高速SAで売ってるサンマルクカフェを見直した。さらに今ならSサイズがMサイズ同額とのことでMサイズだったので分け合って、ていうか妻から大半を譲ってもらって飲んだら疲れがかなり軽減した感じ。サローヤンが書き留めるまでもなくぼくらは何十年も前から、もしかしたら何十世紀も前からそうしていたのだった。

戦後レジーム終了。

投票の日は周東も雪。西のむこうではかなり降ってるっぽかった。山口市に向かう高速道路は冬タイヤ規制が夕方には全面通行止めになっていたので県展に妻の作品が搬入できず彼女はご機嫌ななめ。

次の日は電車通勤。これから国連やEU、NATOのない時代が始まります。ぼくの人生をメチャクチャにした西洋の呼び声(芥川龍之介)が滅びつつある。

GJアテンザ、自転車だった。

GJアテンザていうかハンドルにボタンがいっぱいついてるのは車じゃないとか思ってましたがいろんなパラメータが表示できることに気づいた。特に瞬間燃費は最高。完全にこれ自転車だわ。そうか最近の車はようやく自転車に近づいてきてたのか。これは安い車では分からなかった。

軽自動車(特に軽トラ)に乗ってる時はおとなしい走りの車見たらイライラしたもんだけど3ナンバー車がエコ運転してる理由が分かった。皆さんリアルタイムで燃費ゲームしてたのねw
あとハイビーム自動切換え。ダイハツ車なんか攻撃レベルでハイビームかましてくるので田舎の軽トラの匿名性半端ないからハイビーム返しお見舞いしたもんだけどアテンザだと「フフ♪自動ハイビームついてないのね」とか余裕かましてノロノロ運転続けられますわw

自転車はこのぐらい数字が欲しい。
・まず気温がないとこの時期下手すると死ぬ。
・平均速度はブルベでDNFするかどうかの貴重な目安である。練習時もそう。
・勾配・高度は富士吉田市の30㎞ぐらい延々と続くゆるい坂道で「おかしいな~なんか今日は調子がでないなあ」ということがあって、それが富士山の裾野だと気が付いたのは富士五湖に向かうカーブだったw(筑波山ぐらいなら分かるのよ。富士山だとでかすぎて気づかないw)勾配(斜度)はいい加減な数値なのは分かってるけど、それでも表示し続けてくれると長距離の体力配分にすごく役立つ。
・何と言ってもCAD(ケイデンス)。ケイデンスさえあれば速度は要らない。という人もいるぐらい。年取って体力落ちたらなおさら重要に。もう70あたりで回してる。80とか90とかは心拍が140とかだと足が痙攣してもおかしくないので気を付けてる。
・気を付けると言えば速度だがもうCADと心拍があればあとは下りで調子に乗らないことぐらいしか出番がない。
・心拍、パワーは年取ったら見るのも嫌になる数字が出るがやはりブルベや競技となるとこれを知らないで走るのは怖い。パワーはそろそろ卒業か。でも「250W出して25km/hキープできない風が~」とか聞くと「あの位の風かあ」と言う感覚は昨今気候変動もあって持ち続けたい。

GJアテンザワゴン、田舎というか中世の神聖ローマ帝国的邑邑が分散する山口県でこのレベルの車があると分かった事実とは…

あけましておめでとうございます。とりまほとんど冗談かと思ってたら乗ることになってしまったマツダアテンザワゴン。本日30km先の下松まで買い出しに行ってきました。MTでディーゼルで3ナンバー。私は自転車野郎なので3ナンバー車なんて一生関係ないと思ってたが、やはり54歳という年齢にはでかいクルマは有難かった。これは春から縁起が良くてニヤニヤが止まらない。

最近の日本の歴史の見直しブーム。特に中世のころの山口県は神聖ローマ帝国じゃないかと思えてるこのごろの私。2~30kmぐらいの間隔で街が点在してるのでそれぞれが独立国家として、しかも守護地頭だけでなくお寺や神社を通してそれぞれの宗派の総本山や天皇公家まで戦争の仲裁や調停、税に関する陳情、交渉が上がっていたっぽい。あまりに小さい国国だから歴史に残っていないだけなのだ。

この2~30kmという距離は徒歩の時代だと山もあるし他国あつかいなのは当然。そして現代のスポーツ自転車だとブルベでは最低200km走らないと記録にならないので強がりでもなんでもなく練習にもならないのに下手こくと機材が傷む可能性もある嫌な距離なのだ。そうかと言って税金考えたら次は絶対軽。と思って初めて買った軽自動車:日産(スズキ)モコが結構山の昇り降りの加速がしんどそうでこれもビックリした。割り切って初の4輪駆動車アクティトラックならそこらへんの山が楽しめるかと思ったがどっこい欧州国境と見紛う林道は手ごわくそこらへんの田畑で作業すること前提の軽トラでドッカンバトルしてるとオイルが流れてイグニッションコイル1本やらかしちゃうのねw

やはり車屋で相談したら車で何したいか分からない奴は買っとけ的1500ccの日産マーチはマルチユースで良かったんだなあと22年乗って調子が悪くなってから理解したところにこの3ナンバーのでかいクルマの有難みが分かった次第。もう年齢が年齢なので乗って楽なのは本当に有難く、皆さん「オラオラ」するためでなく「ちょい乗り感覚」で乗っていたのね…つまり気軽に乗れて長距離を走るための装備がいろいろついてるママチャリではないスポーツ自転車の感覚に近いのはこうしたでかい車のほうだったのだ。なんだか燃費も良さそうで、マツダはこんなデカイ車の燃費良くしてナニ考えてるんだと思っていたんだけど、やはり何事も経験してみないと分からない。