早苗ちんが国連の敵国条項に触れて支那の傀儡が騒いでるときナナフクで昼食して連休終了。

支那の東京支部による国連演説全文はこちら。

高市さんは理事会や評議委員会に居た頃はほとんど喋らないので事務局としては「良い理事or評議員」だった印象。ただたまに発言するときがあると国立環境研究所のめっちゃ鋭いゴイスーな先生に比べて「イマイチ冴えてないな」だったけどまあ立憲民主党や公明党みたいに場の空気が分からない支那の傀儡とは違っていた。

AIの台頭、欧州人がアフリカのホッテントット並みだったことがバレる、イランと背乗り国おはこのドローンvs戦車もキルレシオや運用が変わって「やっぱり戦争は経済の殴り合いかあ~」に戻る、などなどビックリするほど時代ていうか価値判断材料は変わる折に日米が「今はクソ欧州の価値観に染まっている国連に協力してやるがアメリカだけでなく日本もおとなしくしてると思うなよ?」という宣言を出すのは良いことだと思います。左翼連中が騒ぐ騒ぐw

でそんなことも知らない夫婦は周防大島近いナナフクに行ってたんですよ。12時過ぎだったのでタコスとか売り切れで1000円のプレートしかなかった。

なんていうんすかね。正直メチャクチャ美味い訳じゃないていうか死んだウチのかあちゃんが作ってたレベルなんですけど見た目豪華なお皿にうまい具合に盛り付けて見せ方が上手い。あと店内の雰囲気もなんか良い。良いと言うより居心地が悪くない。実家というほどじゃないけどちょうど良い狭さとチープさ。学生街のお店っぽい。どこぞの気合いれて古民家大改造して広くてキレイで料理が別に大したことないともんのすんごく気まずいじゃないですか。アレの逆行ってて割と成功してます。「ほう」と思ってしまいました。お客さんがひっきりなしに入っててやはり今時税込み1100円でコンビニより豪華で暖かくて気分変えられる場所は来る価値があると思います。

なんで連休最後にアテンザワゴンでみなとオアシスゆうに来てるかと言えば柳井のサイクルサロンヒロシゲにホイール組みを頼んだから。451乗りの苦労も知らずに海なし県育ちの妻は海が大好き。そして30年前はここらで左翼してた俺もビックリするほど水がキレイ。

ネトウヨなのにベトナム人とHASAGAKEをする。

陶芸と言えば釉薬。釉薬と言えば藁灰。通化寺窯のゆうた君が藁が欲しいと言ってたので妻が探してたら周南市中須ってところではざかけ手伝ってくれたら藁あげるよ~との由でワシも駆り出された。

最近はテレビも雑誌も見ておらずネットしかないのだがネット上の情報も支那の工作かAI動画しかないので何もかも不確かなシュレーディンガーどころではないていうかAIがナビエ・ストークス方程式の破綻見つけたりしてこのままじゃリーマン予想やP=NP問題解くんじゃないかとなると選択公理もやっちまいそうなこのごろ「今時はざかけなんかやる農家は変わり者じゃないのか」とか思ってたら遅刻してワシ等夫婦にアウェイの気まずい空気を吸わせたゆうた君が「軽トラで迷ってたらはざかけにビニールかけてる(当日は雨が降るかギリギリな天気)別の農家さん見かけた」とか「この稲束クッソ草が混じっててベトコンの仕業だろ」と思ってたら「みなさんが今日来るってんで昨日バインダーで急いでやったから稲束草交じりまくりwwゴメンww」とか会話があってやはりここは現実世界なことを思い知る。

ベトナム人は音楽かけまくり迷惑千番無礼講かと思ったが全然そんなことはなくみな真面目だった。アレヨアレヨと言う間にHAZAを木槌でコンコン立てて「ウ~ン、やっぱり慣れてるなあ」と思ったらみんなで稲束ドカドカ載せたら途中ではざが全部倒れて農家さんが「ダメだよつなげて建てたら倒れる時全部道連れで倒れちゃう」とか騒いでどうやら田舎ベトナム人と都会ベトナム人がいるらしく何が何だか分からないらしい。ワシは環境省と国立環境研究所が海洋が二酸化炭素を吸収してるんじゃないかの研究でMOLの外洋航路の船で実験助手やってたエリートベトナム人と話したことあるが下手な日本人より真面目だったことは知っている。結局海はCO2を吸ってるだけじゃなく盛大に排出してることが分かり研究そのものはポシャったw

HASAGAKEはその後リスク分散プロジェクトになり割と重労働になって「チッ」とか思ってたがようやく終わって「川行くよ~」と何事かと思ったらベトナム連中が身体洗いはじめて「元気だなあ」「若いなあ」とネトウヨなのに笑顔になってしまった。そしてイケメンな俺はおなごベトナム人からお菓子を貰って割と美味いので家で全部食った。なかなか排外主義をやるのも難しい由w

でバーベキュー。これは終盤のニンニクのごま油焼きでおいしかった。こちらの農家さんは「天日干しをやるとお米が美味くなる」とのことで他の農家さんもそういうことらしい。ビットコインでもない限りお米の履歴が残るわけではないのでその辺どうすんだろうとは思う。どうすんだと言えば肝心のバーベキューではワシ等夫婦が持ってきた高森牛が一番美味かった。

高森牛と言えば何を隠そう我々夫婦はハイソなのでバーベキューなんてアレなイベントに縁がないので前日慌てて肉を探しに「肉のこーべや 玖珂店」に初めて来てみたら肉しか売ってない店かと思ったらお酒やおつまみ系がいっぱいそろってるステキスーパーだった!

そしてなんと廿日市市の今は亡き大野生鮮市場でしか手に入らなかった「平家パイ」があったのだ!お酒はこれまた山陽小野田市の山猿である。実りの秋である。腐れ欧州は第3次世界大戦でもやってろ。

GJアテンザワゴンの油圧異常→オイル交換/日産モコ周東フジタオートでライトがピカピカ/真号(animato cong)451入ります。

はじめての3ナンバー車ということで「自動車は自転車のように気軽に乗れる乗り物だったんだ」とどこへどんな道を走っても平気だったGJアテンザワゴンですが7月20日の大分旅行で油圧異常警告が出て大分のマツダに駆け込んだのだがオイルは全然減ってないしマツダの人も良く分からないとのことで全リセットでお茶を濁したけどやはりすぐに警告が出て1か月ぐらいバキュームポンプ交換したりして悩んだのだが結局オイル交換してみたら治りました。副作用としてそれまで出ていた警告も全部消えてi-stopも復活してしまい少し面倒くさくなった。この辺はチャリンコと違ってつまらないところではある。

日産モコは我が家唯一のAT車なので妻が重宝してますが廿日市市の軽マーケットで20万円で買ったボロなのでライトは末期色だしボディもなんか薄汚れてて左のフェンダーミラーはなんかガタガタしてたのだが車検は岩国中央自動車にK12マーチを出したときすごく対応が良かったので同じ系列というかボスの廿日市市の軽マーケットに出そうと思って居たのだが周東のSさんが個人でやってるほうのフジタオートに出してみたら黄色いライトはSさんが在りし日のダウンタウンみたいに腕をパシパシやって「ぜひ自分に任せてください!」って言ってただけあってマジでピカピカの透明になって車体も結構キレイ(ルーフはまあしゃんめな)になってフェンダーミラーのガタツキも「ああ、コレね(ぱこっ)」と直してくれて最高でしたw

写真は車検から帰ってキレイになったモコでどっかいくべえ。ということで徳地のクレープ屋彩月茶房に行った帰りに山口県民にはどうでもいい徳地の田畑も宇都宮育ちの妻にはiphoneで撮影するぐらいの価値はあるらしい。

で真号であるがとうとう451をハメてしまいました。やはりというか当然というかクリアランスOKです。これでタイヤさえ入手できればミニベロロード気分を味わえます(写真はトラの子のVEE speedsterを履いたところ。通勤用途で1週間以上使いたくないのでこのあと外して温存)。タイヤさえ人類世界に売っていれば…おのれシュワルベなぜ451を止めた…(SXRは、アレはタイヤではない)

上関のつぎは下関の数方庭祭に行ってみた。

今回の旅の宿のKOKO STAY下関に着いたらいきなり周りはえっちなお店だらけで「ここはオレにまかせろ」と散歩してみたのだがなんか見たことがあるなあと思ったら松田優作が通ったというちゃんぽん屋の「大阪屋」があった。ちなみに私は探偵物語の同和病院ビルも筑波大に受かったその年に秋葉原に行くついでにギリ解体前の実物を見ている。写真も「写ルンです」で撮ったはずだが銀塩なので失くしてしまった。

そして今年の下関の話題と言えばなんと言っても限界ニュータウンで有名な吉川祐介氏がyoutubeでその筋の専門家ではなく一般人にも分かる様に「何故価値があるのか。なにが古いのか」を広めてくれた日本一古い分譲マンション「下関第一ビル」である。山口県からノコノコ芸大じゃないほうの美術系国立大(筑波大)に受かって東京の同潤会ビルや宮益坂ビルを見て「ほほう」と思って居た身としては割と地元にこんなすごいものがあることを教えてもらって有難い。見物してるのは俺ら夫婦以外誰も居なかった。

今回もアテンザワゴンに真号と春香号積み込んで秋田商会ビルとか古い建物めぐり。写真は亀山八幡宮の結構な(俺の8速化animato CONG真号の前輪が浮いた)坂を前日チェーンの長さがメチャクチャだったのを調整してヨシこれならマトモに進むだろうと思ってた9速x2のDragonbike Rifle AK20春香号がさらばのブクロ並みに変速操作が不慣れな女房乗せてスイスイ登ってくれたので妻以上に内心笑顔でガッツポーズの俺。まあこういう神社は残るだろうけど大阪屋や下関第一ビルは残らないだろう。何とかならないもんかしら。

そんな残らないものばかりじゃなく全ての取引記録がガッツリ残る暗号資産を利用したステーブルコインJPYC決済が出来るお店がなんと山口県つか西日本にもある!ということで元祖しもやき本舗さんところでMETAMASKでやろうとしたけどダメでした(HashPort Walletのみ対応らしいっす)。岡部さんもうちょい頑張ってよ。

ここで当日になって数方庭祭とホテルの距離が10kmでお祭りが夜7時半から始まるということを知る無計画っぷり。一応チャリンコは日本人用のママチャリではないので夜間走行は可能だが下関市の公共交通機関の悲壮っぷりは都内から移住した身には厳しいものがあったが先の元祖しもやき本舗にて地元住民と思しき方から「そんな大した祭りじゃないわよ」「車?余裕w」とのアドヴァイスをいただきなおかつKOKO STAY下関の従業員さんも「数方庭祭…?関門海峡花火大会でなく?」みたいな反応だったのでえいやあとアテンザワゴンで行ってみたのだが途中時間調整のために立ち寄ったバグダッドカフェのオサレ具合は東京は京都を超えてて「ほほう」と唸ってしまった。ちょっと蚊が居たかもしれないがな。

でノコノコやってきた数方庭祭であるが確かに地元民に紛れてアレヨアレヨと車進めてたら余裕な場所に駐車したんだけどどう考えてもこのブログでは当日参加されてた安倍昭恵さんぐらい公にできない感じだった。妻は単純に天下の奇祭を楽しんでましたが私はネトウヨなのに仲哀天皇と神功皇后の関係は新羅系のクーデター以外になにがあるのかと思って居るのでなにかネタはないかと探しまくったが分かるワケがない。しかし山口県こと長門こと穴戸(ANATO)は後述する大寧寺の変と合わせて中央(YAMATO)との反逆の歴史を綴る土地なのです。

祭りも見たのでKOKO STAY下関内に戻り美食酒家ゆめぜんで夫婦二人で1万円ほど飲み食いする。日本酒が充実してるので日本酒飲みには良いがちょっと盛り付けが寂しく素人目には不満が残る。材料は良いものを使っていると思う。

翌日は支那朝鮮のゴミで汚い響灘でも見ようぞと角島なんぞ目もくれず土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムに行ってみた。とにかく道案内が美川ムーバレーより酷くアテンザワゴンを老人ホームに突っ込ませたりしながら駐車場らしき場所にアテンザワゴンを停めると最初に目に入る不気味なオブジェは?と思ったらエアコンが故障中で自然派左翼にはちょうど良い室温の館内で平成初期の3Dメガネをかけたら支那の場面から始まる何から何まで左翼どっぷり時代(昭和の終わりから平成の始め)の動画を見ると理解して割と感動する。

で土井ヶ浜ドームなんだけど平成2年に出来たらしく自動ドアじゃないし片側のドアは重たくて開けるなとか言ってるし空調はないしボロボロなのだが文句があるのはボロさではなく、なんで遺跡を保護するドームにわざわざ土かぶせて草生やしているのかの説明が皆無に近いこと(少なくとも我々は目にしなかった)。発掘前はこの辺はこうだったよ。掘るの大変だったのよ。と道案内以上にアピールすべきじゃないか?

で施設の運営方針にムカついてたら腹減ったので該当施設に入るとき最初に見た看板でなんか食えるみたいだけどどこよ?と「ほねやすめ」で食事をしようと思ったがこちらも案内が骨にハートマークだけでよく分からずまた少し迷う。

やっとたどり着いた食事は上関の道の駅の上関海峡亭よりはるかに美味かった。貝汁なんかドライブインみちしおよりずっと美味い。我々夫婦以外誰も客がおらず十分に食事と休憩を楽しんだ。これがなかったらニコニコして下関市を後に出来なかったよ。

そんでもっていよいよ私的には念願の大寧寺である。大内氏は山口遷都の夢を見つつ、ここで滅んだ(大寧寺の変)のだ。元祖瓦そばたかせの湯本温泉にあったのね。今回はじめて知りました。

ついに念願の上関のモンサンミシェル(小山)に到達。しかし帰りに寄った道の駅上関海峡の上関海峡亭の食い物が不味くて旅の思い出が台無しにw

前回の反省を踏まえ長靴に軍手、そして写真にはないが枝や草を刈る器具の完全装備、身体に虫よけスプレーを厳重にひっかける。

余計なchinaアプリが携帯に入らない様に使ってる台湾Brytonが測位に苦労してますが概ね中ノ浦海水浴場から国土地理院の破線通りに行けば秘密のぷらいべいとびいちに出られます。

これは帰りに撮影した画像だけど画面右の水たまり跡から水が画面左に向けてあふれたらしく道がえぐられ高低差1mの凸凹になってて難所と言えば唯一の難所。当然チャリンコは途中で遺棄。ただしチャリの買い物かごは運搬用途としては重宝した。

ついに到達した上関のモンサンミシェルこと小山である。砂浜はなくゴツゴツした石ばかりで火星のキュリオシティ気分も味わえる。正直かなり労力を要したので妻は不機嫌かと思ったが誰も居ない場所にあって引き潮を見計らって得た紛うことなき陸繋砂州の風景に「すごい」「良かった」と言ってくれた由。

潮風が強くそんなに暑くはないが日陰で休むのは折り畳み椅子を持ち込まない限りちょっと難しい地形。飲料水持って来た俺はエライ。しかし響灘や日本海と違って瀬戸内海は支那や朝鮮からゴミが来ないので海がキレイですねw

さてプチ冒険気分で満足した帰りに腹ごしらえということで道の駅上関海峡に寄ってみたのだがここの上関海峡亭が牛すじカレーも海鮮丼もクソまずかった。いい旅夢気分が台無し。

入口の右側にある狭小店舗の「カフェレストラン 瀬里家」の出店のデザートは美味かった。この狭小店舗のお向かいの案内所みたいなところにある有料のコーヒーと合わせると十分口直しになった。うどんとかも売っていたのでここのを食えば良かったと大後悔。

大分県に行ってホバークラフトに乗りました。

いつ営業終了するか分からないので乗ってみた。まあ人生で1回乗ってもいいでしょうわしら50代が小学生の頃学習雑誌で見たホバークラフト。別府湾周遊コース一人2,000円である。超信地旋回みたいな動きが良かった。

で大分県なんぞに特に見るものはないので別府タワーがあったので寄る。割と面白い。お土産二個も買った。あ、そういえば最近ゆめタウンで売ってる大分のヨーグルト、あれは美味い。

さらに高速に入ろうとしたらグローバルタワーが見えたので登ってみる。設計者の磯崎新と言えば我々悠仁親王の先輩である筑波大卒業生にとって所縁のつくばの第一ホテルであるがどことなく篠田守男と似てるテンション&コンプレッションぽいデザイン。どっちにしろ別府のお人は高いところが好きと見え好印象。

宿は宇佐ホテル リバーサイド。ホテルから2kmぐらい歩いてたどり着いた「個室酒場はまっち」は新宿の朝鮮人経営の個室居酒屋でぼったくられて酷い目にあったがここは大分宇佐のド田舎でどこのどういう種類か知らないが日本人の若者が出入りしてたのでこの店を選んだ。上品な味ではないがボリュームが良い。特に豚足がすごかった。旅先の居酒屋としてこれなら満足である。

宇佐と言えば八幡様の総本山。片参りにならないよう2回もお参りして300円のかき氷食って小銭がのうなってこの旅も終了w そういえば無料駐車場がことごとくチェーンで入れなくなってて大分のヤクザチンピラ頑張ってるな思いながら400円払ったw

奈良、サローヤン、ゆず茶。

中、高と修学旅行は九州、東京だったので奈良は初めて。齢55歳にて東大寺のでかさにビビり、そしてすれ違う外国人どもに「お前らガイジンの国は日本以下なんだろうなwww」と株価以上に優越感半端なく大変有意義でした。

まず山口県の自宅から高速道路を400km以上走って斑鳩町三井観光自動車駐車場に着いた。公衆トイレの他は平日とは言え誰も居ないセキュリティが心配なぐらいの駐車場であった。

ここからテクテク徒歩で法隆寺を目指す。自動速度調整機能つき3ナンバー車とは言えワシ一人で400km走ったあとなので結構疲れてたのだが奈良のド田舎のどかさに癒される。

道中の様子もなかなかすごい。ワクワクさせられる。これは古都奈良の貫禄を見せつけられた。岩国市の城下町にもこうした壁もあったのにほぼ全部ブチ壊して訳の分からない昭和時代の公園にして多くの遺産を失っている。

ともかく昼食を。ということで女房がこれまた世界秩序破壊の急先鋒iphoneを取り居出しておすすめ「ギャラリーカフェ 鵤樂舎」に入ってみた。「OHAKO」はなかなか他では味わえない細かい技を繰り出す感じの味で美味かった。パスタもデザートもあって夫婦二人で6400円はまあ安い。ここは宮大工小川三夫さんの所縁の家らしく西岡常一氏とあわせて簡単な説明をしていただいた。

日本人として法隆寺を初めて見る。五重塔と言えば山口県人としてはまず瑠璃光寺の室町時代の完全和風に完成された五重塔を思い浮かべるので「これ日本ちゃうやん。完全にchina様式やん」が素直な感想だった。おそらくchineseがみたら「懐かしい」と思うであろう古臭さと無骨さにこれから世界に打って出ようとしてた飛鳥時代の大和王朝の若々しさと猛々しさを感じる。

さて今回ABホテル奈良で運よく入庫できた俺一人で400km以上走ったGJアテンザワゴン。今まで日産マーチだと二人で高速走る作業を分担だったのだが自動速度調整機能で一人で乗り切ることが出来た。さすがに疲れは感じたが一度味わってしまうとコスト面から鉄道旅も遠のくし今後車を買うにしても自動運転支援機能がない車には乗れない気がする。

JR奈良駅歩いて5秒ぐらいのホテルだったので奈良駅でお土産買ったり「ゆるりJR奈良本店」というお店で呑む。そんな悪くはないけどせんべろ系だったので失敗だったかも知れないがまあ夫婦で酒そこそこ飲み食いして7,610円なら良いかも知れない。

そうして2日目ABホテル奈良の朝食に感動しつつ午前中は奈良公園と東大寺で人生初の大仏様も拝むことが出来た。写真は筑波大芸専卒として見ておきたかった南大門。

大仏殿には重源さんの説明もあって良かった。

興福寺の五重塔は工事中だった。ここでも阿修羅像など教科書で有名な仏像を肉眼で見れて大いに喜ぶ。

天極堂奈良本店で昼食。観光地のど真ん中なのに美味しくて量もあって夫婦で5,615円。デザートの葛も美味しかった。ここで午後から俳句の会に参加する妻とは別行動に。

一人となった午後はまず「グエルバイシクルストア 奈良本店」にて406の自分で組んだホイールのテンション調整を依頼。結局夕方に「このままじゃ危なくて手渡せないのでフレ取りもしました」とけちょんけちょんに言われながらも前後で8,000円で安全完璧に生まれ変わったホイールを手にする。奈良はホイールメンテもバッチリ出来るちゃんとした自転車屋さんがある大都会であった。ただ横田交差点からグエルバイクまで斜めに伸びる旧24号線はGJアテンザだと狭くて泣きそうなクソ田舎道であった。

グエルバイクの皆さまがわしのクソホイールに悪戦苦闘してる間に張本人は石舞台古墳までサイクリング。その日の宿は「ビジネス旅館やまべ」安宿のつもりだったがなかなか居心地の良い宿であった。近くのローソンで買った酒飲んで寝ようとしたら妻から「今から夜の奈良で会えない?」とまるで学生時代みたいなLINEを受け取る。どうやら俳句の爺婆連中がとっとと寝てしまったらしい。だが飲んだ後なので断ってサローヤンの人生喜劇を開いた。あまりの昭和左翼臭さに準主人公が「千歳の岩」を歌い始めたところで脱落。

夜が明けて妻と合流し奈良を出る。行きはある程度余裕があって速度を85キロに設定していたのでリッター30kmいくんじゃないかぐらいの勢いだったのだが帰りは「夜7時までには帰りたいなあ」と焦ってしまい設定速度をムニャムニャキロメートルにして結果20.7km/lであった。身体も結構疲れた。吉備SAのサンマルクカフェでコーヒーを注文したら隣で妻は「ゆず茶」を注文していた。自分はこんなものを高速SAで売ってるサンマルクカフェを見直した。さらに今ならSサイズがMサイズ同額とのことでMサイズだったので分け合って、ていうか妻から大半を譲ってもらって飲んだら疲れがかなり軽減した感じ。サローヤンが書き留めるまでもなくぼくらは何十年も前から、もしかしたら何十世紀も前からそうしていたのだった。