この1ヶ月ぐらい世田谷の自由大学でカーボンの焼き方教わって自転車作ってました。あと一息で完成なのだが部品を輸入するのに遅いことで有名なUSPS選んでしまって今週の日曜は作業が中断。
ここまで来たら多分できると思うけど…できなかったら笑って下さい。
生きるために自動車が必要。というおぞましさ。
(連絡)先ほど気がつきました。ファーマシストさんのコメントに返事することをすっかり忘れてました。すみません。ミッドレーサーですがお金ないから買ってません。raptobikeですがまだ埼玉の絹自転車からなんの連絡もない状態です。
carry freedomとTR-1。物資が足りない、今まで通りにすんなりモノ手に入らないときほど自転車のすごさに驚かされるときはない。全くなにも変化がないからだ。都内のスタンドはどこも自動車の長蛇の列である。本当に自動車は呪われた存在だ。自転車に乗れば分かるが、自動車はオモチャなのだ。遊びの道具なのだ。そこらへんのオバチャンが「水を買いに」とか「生きるために」自動車がなくてはならない社会システムというものは、あってはならない。自動車とは本来、走ることを楽しむための嗜好品であって、生活必需品であってはならないのだ。自転車はそんな社会とか人間の生活とかなんぞとは関係ない、地球とか大気とか重力と同じような、動かしがたい、存在がゆるぎない、基本的な存在のままである。自動車はそうではない。不条理な、バランスを欠く、とってつけたような。いずれ終わる。進化の先に希望が見えない。
トライク乗ってると両手でカメラ構えて写真撮りやすいですね。
いい写真ですね。
トライクは両手でカメラ構えても全然怖くないからこういう写真が撮れるというもの。
なぜかワタナベサイクル鷺宮店でBOMA試乗会。
さんちゃんとこでBOMAの試乗会があった。
俺はいそがしくて10分ほどしか見てない。
BOMAの担当者さんがいて、BOMAとは望馬。日本の会社です!とのことを強調されてました。日本で企画、製造は支那フレーム、台湾パーツですな。カーボンはまだまだ発達途中段階の素材なので頑張って欲しいです。
狭山自然公園で信じられない出来事が起こる。
まず記事に入る前に一言。本当は今日は昭和記念公園に行く予定だったのだが
なんですかこれは。
http://www.showakinenpark.go.jp/kisei/index.htm
※下記の遊具等はサイクリングロードでの使用不可
・リカンベントタイプのもの
おいふざけんなよ。昭和記念公園爆破すっぞコラ。
* * *
というわけで湖の名前も公園の名前もハッキリしなくて検索しにくい狭山自然公園に女房とK12マーチで行ってきました。K12マーチは最近乗られて嬉しそうです。もうバッテリー切れどころかガソリンが古くなってエンジンの調子が悪いなんてことはなくなりそう。ただし内燃機関は乗ること自体が子供手当てみたいに地球に対する重罪だがな。
そして最近ブログ更新してない女房がこっちのブログに良く出てくるなあと思っている人、その通り。このトライクは女房に運動させるために買ったものなのだ。
思えばタルタルーガFだって俺はこんな40万円も50万円も追加投資しないと時速40km出ないコンフォートな自転車なんか欲しくなかった。女房にのんびり自転車を乗ってもらうために買ったのだ。しかしいくらコンフォートだと言っても運動神経のにぶい不足の女房にセミ・リカンベントは厳しかった。
そこでKHS m1216を購入した。軽量で足つきのよいクランクフォワードである。さすがにこれなら乗ってくれたが、重さ10kgのm1216で輪行を想定していたのが甘かった。信じられないほど筋力のない妻は前輪をころがしてもヨタヨタと駅の構内をふらつく様は見てるこっちが情けなく、はたから見れば鉄道という公共の場で妻のイジメを見せびらかす悪い夫のようだった。
そこでトライクである。運用をカーサイクリングに絞り、各地の公園なりCRなりを走るのだ。トライクだからいくら運動神経が鈍く不足でもこける心配もない。ぼくの計画は完璧のはずだった。…
K12マーチに3台自転車を積む。
前回2台しか入らないとか言ったがあれはウソだ。貴音号(TW-BENTS Mantis)・やよい号(Tartaruga F)・春香号(KHS m1216)の3台が入った。
トライク・セミリカンベント・クランクフォワードのミニベロの3台が入るのだから大したものだ。
1000年後の人類へ。
先週末、つくばで飲み会があった。酒を飲むので自転車に乗ってはいけない。歩いた距離は10,120m。駅から帰るころには靴下がずれて足の裏にはさまって歩きにくい状態だった。
しかしそれは靴下ではなかった。
私の(自転車に乗ることによって柔らかくなってしまった)足の裏の皮膚がはがれていたのであった。
そういえば吉村作治が「自転車に乗る人は健康に良いと思っているだろうが、健康のためなら歩け」と言っていたことを思い出した。ママチャリにぶつけられたかわいそうなヒゲのおっさんに言いたい。私は歩くことを放棄したヒトである。ついでに言えばママチャリは自転車ではない。
私のこれからの人生において、歩く距離も時間も、私が自転車に乗っている距離どころか時間にも比較にならないほど少ないのだ。いずれ人類は脚というゆりかごから離れなくてはならない。そのことはエジプトの歴史を勉強している人なら理解できるだろう。ただちょっとしたきっかけ、自転車に100万円ぐらいポンと出してみることである。
自動車やオートバイを楽しんだ後に自転車に乗って私は確信した。人類の存在の全ては自転車のためにある。エジプトの満天の星空が民間伝承とともにギリシャ神話になったように、先ず人類が閉じた世界(地球)で分かった気になっていたほんとうのエネルギーの存在を復習するみちしるべ。それが自転車である。
私はいまだに自転車がどうして前に進むのか理解できないときがある。その不思議さは自らの身体を削ってちぎって変化させて…いつかヒトと呼べない身体になっても余りある感動である。