・まず、誤解その1。「つみきのいえ」がゴミだという言い方はマズかった。むしろゴミとさえ思っていない。いい意味でも悪い意味でも全くなにも感じない。全然心に残らない。なんであんなものが評価されているのか分からない。ああゆうのが一番をとるような状態では作家アニメ(アートアニメというらしい)の世界は壊滅状態だと言う事が言いたくて「ゴミ」と言ってしまった。
例えば俺が「うわっこれきめえ!あざとい!狙ってる!」と言う悪い意味で心に残ってるのが↓
この父と娘のあざとい臭っいメロドラマみたいなゴミアニメ「岸辺のふたり」。それでも、「つみきのいえ」よりよっぽど環境問題に配慮してるし、風景も、画面横切るチョイ役も、一つ一つ存在感があってはるかにマシ。
「つみきのいえ」ていうか加藤久仁生の作品全てが悪い意味でも良い意味でも、俺の心に残るものがない。なんで爺さん最上階に住んでるの?なんで水にもぐる重装備買ってるの?登場人物にも風景にも生活感や存在感が全くない。
俺はそういう”なんで存在してるのかわからない”ものが画面を横切るだけで頭が痛くなって目を開けていられない。そういう意味では「つみきのいえ」をBSかなんかで見たとき同時にやってたこれまたキャラクターデザインが中国人がつくったみたいでキモくて全然好きじゃないんだけどKUDANのお父さんが牛になるCGアニメのほうがまだ存在感があるだけマシだった。
加藤久仁生さんには、登場人物や風景の、生活とか、なんでそこに存在するのかとかを、無視しないで作品を作って欲しいです!加藤久仁生さんの作品に登場するあらゆるモノの(映像はすごく丁寧でキレイだけど)存在が、雑で乱暴すぎます!私は加藤久仁生さんの作品は安心して見られません!届け!この思い!
・次に「日本人のアニメ」について。加藤久仁生作品は、もうそれ以前の問題で、そもそも加藤久仁生にはオリジナリティが全く感じられない。外国の古いアニメそのまんまじゃないですか。まだ山村浩二のほうが自分のキャラを持っているし、そんなこと言ったら石井克人とかのほうが全然存在感があるキャラを存在感のある世界でぶん回してる。
そこからさらにつっこんで「日本のアニメ」という話になると、私は近藤さんの「耳をすませば」を挙げる。主人公の女の子が「好きなことをするには勉強しなくてはならない」と気付く、この現代的なテーマを、あれほどスッキリと見せてくれた映画は、実写映画ですら見たことがない。
この話が出たのはそもそも、私がラピュタ阿佐ヶ谷ではじめて加藤久仁生の「或る旅人の日記」(←これも駄作)を見たとき、ユーリ・ノルシュテインが「日本人ならではのものを作って!」と言っていたことが私の頭に強烈に記憶されているからだ。
ユーリおじいさんのそのときの目を見て私が感じたことしかここに書けないけれども、おそらく、世界一平和で安全に暮らしている日本人が、食っちゃ寝食っちゃ寝してる日本人だからこそ、感じる不安があるんですよ。あせり。不満、叫び、感動、空気!そこに、もっと共感できるもの。もっと他人と共有する価値のあるもの。なんらかの栄養になるもの。もっとアニメの存在感を示すものがあるはずなのだ。
音楽で言えばYMOだなあ。当時の日本の若者の、不満とか、鬱屈とか、気楽さとか、そういうものをあれほど気楽に、軽やかに現したバンドはなかった。
ゲームで言えばゼビウスであり、アイドルマスターであり…
マンガで言えば…
もうマンガの世界になると…、マンガの世界はアートアニメよりはるかに批判・批評の環境が整っていると思う。批判されまくって、切磋琢磨して、罵詈雑言とか、俺みたいに下品なヤツとか、いろいろあるけれど、「なにくそコンチクチョウ」みたいな感じで、いいものが生まれる土壌がアニメよりあると思う。
でもまあこの辺にしときます。あとこの文章はあまり推敲しないことにしました。あんまり文章を推敲すると読む人に失礼だからです。
* * * (以下、3月1日追加)
すいません。「この記事推敲しません」とか言った後で一人で勝手に熱くなって、それからコメントくれた人も自分を抑えた表現にしてくれて、もうどうせゴミみたいなブログだから記事追加しました。
「日本人のアニメ」「日本人だから出来ること」「現代日本に必要なもの」をテーマに、自分が「これは良い」と思うものを探してきました。「こんなもんか」と嘲笑してください。
まず、アニメで思い出してみたけど本当にない。でも最近見たアニメで「これはいい」と思ったのは近藤勝也美術担当の「雲のように風のように」。
なんでこのアニメ観たのかと言えば、「耳をすませば」の近藤喜文監督と勘違いして間違って観てしまったのだが「ほう!」とうなる一品。これほど現代日本に必要な「男の女の違い」を気持ちよく現している作品はないと思います。原作がいいのかな?しかし俺は支那モノはキライだ。
で、アニメはこれだけ。本当にろくなもんがないです。
例えばロビン西の「マインドゲーム」っていう漫画がアニメ化されましたが…
漫画そのものはつまんないけど、この「人間にとって理解するってことは(麻薬よりも)気持ちいいんだよっ」ってテーマを取り上げたところはすごい。現代日本の、特に若者に必要だと思うんだけど、これがアニメ化されると全く生かされてなかった。おまけになんだよあのアニメ版のラストのオチは。世界で一番視聴者をバカにした映画を聞かれたら俺は映画版マインドゲームを挙げる。本当に大手系の、商業的に成功した、アニメに関わる人間の脳は腐ってる。
そして今回探しながら、ぜひ、これをおすすめしたくなった、三本美治の4ページの漫画「日陰者キングダム」。
米澤嘉博追悼記事の載ってたアックス54号(2006年)に収録されてました。
このマンガのあらすじは要するに「地下鉄の新聞配達グランプリ」なんだけど、全4ページの冒頭3ページを使って登場人物を紹介するという、すごい展開のうまさ、そして最後まで失われることのないスピード感。
なんと言ってもこの作品の白眉は最後の掃除のおっさんの台詞、
「外人は訳分かんねえや」
この一コマほど現代日本の置かれた状況(特にスポーツ界)を的確にあらわしたコマはないです。ホントにしびれました。
三本美治にはぜひアニメ作ってもらいたいんだけどなあ…。きっとすごいものになると思う。
つか、そう安易に何度も「ゴミゴミ」いうとか
どうなんだろ?w
ぶっちゃけ誰にでも何でこれが評価されているの?って思う作品あるし、
それは「自分に合わんかった」でいいのでは?
わざわざゴミとか言って、それを好きな人の気分を悪くせんでもええんちゃうのかとw
でも人の心を傷付けるぐらいの強烈な言葉じゃないと、人の心は動かないし、俺の気がすまない。実際、心が傷ついても大したことないし、それどころか、むしろパワーが出てきます。俺の経験では。
なにより表立って日本のアートアニメを批判する意見なんて聞いたことがないのがものすごく不満。不満を通り越してなんか気持ち悪い。どうにかして欲しい。日本のアートアニメ界が進歩しないつもりならいいけど…。
俺自身は自転車と芸術のためなら、いくら犠牲になってもいいです。殺されてもいいです。(もちろん抵抗はするけど)とにかくそのぐらいの、頭の血管がぶち切れるぐらいのパワーで、自転車漕いだり、芸術鑑賞したいです。
あと私の周りの人は全員、バカとかゴミとか言う奴がバカでゴミだって言ってます。念のため。この話はこれっきりにしないと女房も怒るので、これ以上はやらないつもりです。