MITの学生がしたことの価値。

 MITの学生が自転車の発電器でスーパーコンピュータを動かしてあるプログラムを終了させたこと。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200712201944
 GIGAZINEやTECHNOBAHNでこのニュースを聞いて再帰エネルギー(人間が責任を取ることができるエネルギー)で計算する価値について気がついた人は何人いるだろうか。自動車(人間が責任を取れないエネルギーで動くもの)より自転車が優れていることに気がついた人でないと難しいのではなかろうか。


 平林雅英の「プログラム事典 第2巻」の「プログラム管理」の項はぼくにとってブレードランナーなぞ比較にならないほど近未来SF的世界観を与えてくれた。そこでは計算機のJIS定義「走行中に操作員が介入することなく、多くの算術演算や論理演算を含む膨大な計算を行うことが出来るデータ処理装置」という一文が紹介され、ぼくのその後のコンピュータ観を決定付けた。
 私の妄想であるが、いつか人間は火を捨て心を計算機に保管する時代が来るだろう。そのとき計算機は別に電気で動く必要はないのだ。
 流体であれば水や空気でもフリップフロップができる。現在主流の電磁波を利用したものはコストとかサイズとかいろいろ便利だからたまたま広まったに過ぎない。
 自然にとけこむ流体エネルギーは山間を流れる風と水であろう。この風水コンピュータは岩穴を通してフリップフロップを行う。1クロックは数分のこともあれば数十年に及ぶときもあり膨大な数の同時処理や冗長処理が行われている。管理者と利用者のインターフェイスは極めて神秘的なものとなる。そこに人々の意識は格納され、人々は単なる歩く血と肉になり麓に田を耕しひっそりと棲まう。…

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