2004年から2006年にかけての自転車レースを保存したHDDがぶっとんでFinalDATAで復帰可能かどうか検証中、泣きながら力尽きて半分寝ていると女房が真夜中に「DVDのブランクディスクある?」と聞いてきたが、ぼくは女房からこんな言葉をかけられたら感動して泣いてしまうだろう。正確には「ねーCDって1GBのファイル入らないんだっけ?」である。
彼女はCD-Rの容量すら知らないのだ。ていうか正確にはCD-Rだ。
「CD-Rの容量は700MBか650MB!1GB以上のファイルならDVDに焼くしかない!ホレ!」
眠たいところを邪魔され、つい声を荒げる。
さらに「お前のG4、DVDに書き込めるドライブだよね?」と確認すると、
「わかんない」
「わかんないってなんだよ」
「いやー、多分」
俺のIRAIRAは最高潮に達した。
「HAAAAAAAAAA!?俺をバカにしてるのかあ?テメエのドライブ構成知らんバカがこの世のどこにいる?第一、お前、友達の結婚式でDVD作ってたじゃんか」
「なんでさっきからいちいち怒るのよ~。あれはねえー、なんかねえー、DVDを入れると、30秒ぐらいMacが悩んで、ぺってDVD出すんだけど、そのMacがぺって出す前に、30秒ぐらいの間に、なんか、こう(意味不明)ひっぱって(ドラッグ?)こう、ぱってやると(ドロップ?)、偶然書き込めたの。知らない。私にも意味が分からない」
眠たいのに。俺は吐き気がしてきた。寝ているのに。
そういえばMac使いは頭が悪い。ファイルの削除も「ゴミ箱どこ?」である。幼稚にもほどがある。WinっていうかPCは「DEL x」という字形が頭に浮かぶ。毛唐はメッセージとかプロセスとか呼んでるがほっとけ。なんでもそうだ。命令+目的語。これである。世界すべてがそうだ。ADD a,b!ううーん。キレイ。PUSH HL!あはーん。最高!
ただし、ゲームを作っているときは、擬似タスクシステムとか、へっぽこなりに作ったものだ。そうして、時々、製作者の考えられない状況が起こったりして、楽しかった。ファイティング・ファンタジーのスティーブ・ジャクソンがソーサリーっていうRPGの魔法システムをどうするか。安田均と一般ゲーマーたちと相談してた話が頭をよぎる。
ソーサリーの魔法システムはアルファベット3文字を記憶していれば使える。というもの。例えばYOBなら巨人を呼ぶ。思い出せない魔法使いはみんなからいじめられる。残念ながらYMOはない。
しかしスティーブが当時迷ってたもうひとつの魔法システムがゲームブック方式だ。これは「~の魔法を使う」とゲームマスターに宣言すると、その結果がゲームマスターの判断で変化するというものだ。
そんなクソみたいなシステム、当時のゲーマーほぼすべてが反対して、結局ソーサリーは普通のRPGになってしまった。それを思い出した。
俺はMacのような低俗なシステム上で、女房が「D・V・D!D・V・D!」と叫んだら書き込めたりおっぱいポロリだったりしてソーサリーの魔法の本質を再現している様子を思い浮かべ半ば呆れ半ば羨ましかった。だが現実と1/60でシノギを削っていたZ80ニーモニックの「1年かけてこさえた敵キャラのアルゴリズムが一瞬にしてバグに化ける」ホンモノで味わう戦慄はワケが違う。まさにそれこそがスティーブが望んだ以上の現実に存在する魔法だった。そしてそれは未だに確かにPCの内部に物言わぬ姿で内在している。
それがいつのころからか快適性とか安全性とかいう「自動車は自転車より便利」「自転車はオートバイより遅い」とかいう低俗かつ下劣で浅ましい呆れた発想しかできない地球環境を蝕む種類の人間の心の怪物に毒されたしもべたち(オペレーティング・システム)に埋没してしまい、あまつさえ、GUIというけがらわしい姿のワケのわからん実態のない幻で再現され、ますます正体が見えなくなってしまった。
ぼくらはコンピュータが確実に仕事をすることを知っている。確実に仕事をするからこそ人間の作ったシステム上で予測不能な魔法を生み出すのだ。その様相の確実さ、意外さ、美しさ、突然さ、面白さを味わうとなかなか現実世界に戻れない。要するに、悪の勢力に封印されたゲームブック方式の楽しい魔法と暮らしたいのなら、こんなにインターネットが発達してるのだから、PCにゲームマスターを入れてしまえば…ムニャムニャ(以上夢の中の話)