amazonで送料込み33,800円の激安バイクanimato congを買ったら20インチDISCミニベロとしてanimatoのクソチャリメーカの汚名挽回して余りある名車だった!

リカンベントだけじゃダメですね。ワケの分からない道を目的地なしに走る。「移動体は目的地に向かうためのもの」だと信じ切ってる日本人にはできない芸当ですね。まあ出発前に2時間ぐらい準備して出るのはロードと同じだと思えばリカンベントに人生かけた意味はあったんですが、コレはこの季節はハンドルバーの上に羽織るものちょっとひっかけて3秒で出るバイクですね。20年ぐらいチャリ趣味にしてますけどようやく手に入りましたね。

最初はチョッパーハンドルついててBMXぽい雰囲気を狙った重たいバイクでした。

まずハンドルをフラットバーに。

次いでホイールをdeoreクラスに。

最後にスクエアテーパーはやめてねじ込みBBに。

明け方5時ごろ駐車場の車に忘れ物したので取りに行ったまま朝日を見に行く図。こういうことはリカンベントじゃできないし、フレームは折りたたんでないけどステムは畳んでるDAHON系でもわずか1か2手順の違いなんですが、ダメですね。壁にひっかけてあるミニベロを外套でも取るように下して乗る。

まず前提条件として:私はリカンベント乗りなので我が家には20インチホイールが多い。以前の春香号の称号は折り畳みバイクでbromptonと双璧をなすBD-1 classicの赤だった。しかし18インチのBD-1を引退させて20インチディスクブレーキということで台湾ショップで7万円のAK20を2代目春香号とした。

このAK20、我が家に来た当初は酷かった。まず雨の日に片道20km通勤しただけでディスクブレーキのローターかパッドのコーティングが剥がれ(たように)、減速はできるが最後の「ピタッ」と止まることが出来なかった(晴れの日は普通に使える)。しかたないのでローターをshimanoにキャリパーをBB7に変え、さらにシートポストが独自仕様のサイズなので選択肢がないのに80kgのデブが鬼漕ぎするとズリ落ちてポジションが狂う。結局これも同じような症状に遭ってた某暗黒なんたらさんの記事を参考に薄めのアルミテープを巻いてなんとかした。

そうしてまあマトモ(平坦片道20km通勤には使える)になった二代目春香号に自分で組んだホイールを設えたりしてると愛着がわいて来るもの。そうなるとさらに20インチでもう一台組んで夫婦でそこらへんウロウロできないか。という話になってくる。しかし金がない。ああ何処かveloorangeのフレームでも落ちてないかと思って居たところanimato CONGである。

このCONG、前述の台湾娘の春香号に比べたらほぼ完ぺき(完璧のぺきがひらがな表記、気に入ってます)なガイコツの高橋君(日本人の検品)プロデュースを経た中国女。まず全てのパーツにshimanのターニーがついている。ターニーのディスクローターは前述AK20で雨後わしがぶうぶう言いながら交換したものである。ターニーのブレーキキャリパーは未知数だが、まあ、shimanoなら大丈夫だろう。シートポストも28.6mm。AK20のようにパチ屋のアルミホイルもといアルミテープを巻く必要もない。animato、クソチャリメーカーの汚名挽回(この言葉、使ってみたかった)である!!

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レモン彗星を観に夫婦でミニベロ2台で近くの河原まで走った。低い春の大曲線のそば淡いガスの海に彗星は沈みかかってて、双眼鏡でまあ観れた。観れた。と騒いだ。「沈み遅きボーテス…」と歌われた牛飼い座のあたりで藤井旭の星座の本で読んだ話を思い出す。そういえばボーテスとは巨人族つまりあの大阪万博で目玉となったイタリア館の「大地を背負うアトラス」のことでもなかろうかとの由で、暗闇にたたずむ春香号と真号。

無料で手に入ったHONDAアクティトラックHA7で山とCHILLIに行ってきました。

アクティトラックHA7は初の軽で4WDなので酷道行ってみようということになり、とりあえず須金の「山とCHILLI」というオサレ飲食店へ。

HA7のダッシュボードの凹みにLBT-SPP310がピッタリ入って超ゴキゲン。下手すると有線でFM飛ばしてるK12マーチよりBTなだけ現代的かも。もちろん音質は推して知るべしなのでJack Johnsonとかモンクとか楽器ソロを流す。

「山とCHILLI」なかなか美味しい。期待してたほどは辛くなかった。妻は辛いよ~と言って居た。タコスは岩国タコターコのほうがパンチがあって美味いぜ。ただあそこはガチで米兵がたむろってるからコワイwこっちのタコスもパンチが効いて欲しい。

デザートは日替わりでどういう名前の食べ物か良くわからなかったが、これは美味かった。チャリンコ練習ご褒美の一品に成り得る。

さて食ってウロウロしてると良い感じの公園があったのでちょっと妻のMTの練習をしたら俺よりクラッチやアクセルといったペダルワークが妙にスムーズ。よく見ると妻の靴が運動靴だった。そういえば俺はトレッキングシューズのルック車みたいな靴を履いていたので底が厚い。後日ソールが柔らかい靴を履いたらペダル操作がすごくやりやすくなった。

そして動画の通り「大田原自然の家」に来てみました。このあと県道139号線へ。

県道139号線から菅野ダムを見下ろせるので夫婦で驚く。良い景色。ていうか山口県は水辺を眺めながらコーヒー飲んだりお食事できる場所が皆無なのは何を考えているのだ?

県道139号線を南下してたら「周南市中須北地区の棚田」に来た。棚田の景色を妻は喜んでいるが俺はまあべつに面白くない。情緒的な風景なんかどうでもよくて開拓の歴史とか学問的な展示して欲しい。

遠い山なみの光とぼっちザ・ロック

目が治った記念(今日から職場復帰)に家の中でじっとしているのもなんなので妻と映画を見に行く。意外や意外。カズオ・イシグロのなんともぼんやりしたワケの分からない話だけは守ろうと作ってあったのが良かった。というのも帰宅してtwitter見ればぼっちザ・ロックの脚本家が裸を水着に改変した騒ぎがあったからその意義は大きかった。

私がカズオ・イシグロの価値で最も注目するのは「現代欧州の所謂白人中心の価値観で本当に良いのか」という問いかけである。私は大日本帝国が過去の戦争でやったことが本当に悪なのか、今再評価されていると思って居る。

目ん玉抜糸して高知市をタンデム自転車KHS T-20亜美真美号でコンパクトシティ観光。40数年ぶりに足摺海底館を再発見。

ドラえもんみたいにわずかながら空中浮揚しているが、これは40数年前まだ家族が比較的マトモで私にも人間らしい心が残っていた頃、家族旅行で見た足摺海底館を再発見できたので狂喜乱舞している図である。学生時代からWEB時代まで”足摺岬”で検索しても見つからず今回陶芸の師匠から竜串海岸を勧められて見に行ったらあった!の巻。いや名前おかしいだろ海底館w

さて今回の旅行は、このごろ四国ばかり行ってるけど「沢田マンションが見たい!お前だけ社員旅行で高知市行ってズルい!」という妻の訴えにより右目が抜糸したばかりだけど一応医者からOKが出たので高知にやってきました(本当は金毘羅さんも行きたかったけど1300段も登るな13段ぐらいにしろと言われた)。高知市内をホテルからKHS T-20亜美真美号でコンパクトシティ観光しようという算段。しかし亜美真美号は折りたたみの際チェーン脱着がめんどくさくて暑いなか苦労する。その位この日の高知市は暑かった。

沢田マンションはまあ一般の民間の敷地なのであまり言及しない。とりあえず無事に見学を済ませてある程度満足な妻と腹減ったんで回転寿司で食事。マジで暑いのでお湯ですらガブガブ飲んでしまう。

はりまや橋、ひろめ市場、高知城と阿見真美号で高知市内を回る。日曜市は残念ながら午後3時過ぎでは既に終わっていた。道が広くて交通量がそんなに多くないのでタンデムで車道を普通に走れてかなり良かったです。しかし写真の汗の様子から分かるが気温が尋常ではない。自転車素人の妻はもちろん8年前福山から愛南町まで往復600km走った俺も今や老いのため人工物になった右目が保護メガネで蒸れまくってて桂浜は断念した。そういう意味では温暖化をくいとめるための自転車も温暖化によって役に立たない悪循環を認めざるを得ない。

地球の未来を悲観しつつホテル帰還中オサレ雑貨屋を発見。趣味は合わないがレベルは高かった。こういうのが徒歩の速度で移動しててポコポコ見つかるのは都会的で良いのだがいよいよ暑さでうふふ提督さんの幻聴が聞こえはじめる。そういえば高知市に入る前に鉄道を227系が走っとる!さすが高知。単線だけど電化してるのね。と宇部&小野田線がある山口県民だけど岩徳線沿線住民になってしまった元都民が複雑な感情を抱いて居たら2700系というパチもんらしかったw

で車のクーラーで身体を冷やして妻もう一つのご所望の桂浜である。しかしおいそこは竜馬の尻じゃ。いくら昨今の歴史の見直しで幕末の志士かパチもん臭いとは言え真正面から記念撮影せんかい。と思ったら「興味ない」との由。そんじゃ何に興味があるのか聞くと「太平洋はしょっぱいらしいから味を確かめに舐めに来た。桂浜はどこだ」バカすぎて笑う。

青いパラソルで椅子に座って見張ってる(写真左)警備のおっさんから音声が割れて全く聞き取れない拡声器で「〇△□※§…!!」どうやら遊泳禁止なのにすわ海に近づく不埒アジアンめと怒鳴られ太平洋を舐める志(こころざし)を失い逃亡する妻。曰く「せっかく舐めてやろうと思ったのに…もう舐めてやらない(原文ママ)」マジほんまさらばのライブより下品で面白いわお前w

さてホテルに戻り妻は何かを舐めるのに失敗し俺は暑さで自転車による桂浜上陸を失敗したものの総合的には高知市観光にまあまあ成功したわいと居酒屋を探してウロウロしてたら良い居酒屋見つけるのは歴戦の猛者ぽいリーマン二人がひょいと入っていった「せい和」という居酒屋にてウツボを喰う。美味い。俺はカツオのほうは全然わからなかったが妻は「このカツオは美味い」と満足の様子。味も値段もアタリの良店であった。

なんかホテルでいちゃついてたら皆既月食だった。なんか盛沢山だな今回の高知旅行w

明けて翌日足摺岬である。150kmのドライブでコンパクトシティはどこへやら。

「太平洋舐めないの?」「虫がいるからやだ」と訳の分からない会話をしつつ陶芸作家なら見ごたえのある竜串海岸を鑑賞していると遠方に(写真右)いかにも1970年代の建築物を発見!!これが冒頭の海底館であった!!

なんか浸水したけど営業再開しました等の張り紙がしてあって四国の連中この建物結構大事にしてるんだな~感がして良かった。なんのことはない海の中が見られるだけなんだけどやっぱり楽しい。今回は割とマジで会話ができる家族と一緒だからだろうか。

なかなか濃厚だった四国を後にする。あまり夜中は走りたくないので平日深夜の山陽道のトラックの多さにビックリした。一人であのデカいトラック運転してる人たちがたくさん居るなか俺たちは二人でなんとか睡魔と戦いながら帰り着くことが出来た。

オウムアムア、2I/Borisov、3I/ATLASに続く恒星間天体ピザーラ・キャラバンが中央フード高森店に出現(2回目)。

都内に住んでた身としてはやっぱピザ屋欲しいなあ。24時間営業のマックも。中野にサルバトーレがあったころはピザーラなんか豚のなんかって言ってましたが年に数回しか食えないとなるとパンガシウスみたいに「うまいうまい」と食うようになりました。

網膜剥離の空気の玉、最初は視界の半分以上を占めていたのがだんだん空気が抜けてバラエティー番組のワイプみたいな頃はまあ視界が2割から3割ぐらい遮られてる頃はステータス見てるからしょうがないねハハハとある程度我慢できたんですが今や完全に一つの敵キャラぐらいのなんか作業中に気を引くにはお手頃サイズの大きさになって視界を動き回ってて例えばピザ食って顎なんか動かした日にゃ視界の下の方でひゅんひゅん動き回ってて邪魔になってしょうがないw

半田繁幸の右目、人工物になるw

手術して3日目。まだ空気が入ってて視界内でぷよんぷよんしてます。水晶体と硝子体は砕かれて吸い取られ今多分樹脂かシリコンが入ってます。シリコンが目の中にはいるとき「みにょ~ん」って見えてましたw 関係ないけどいりこ食ってたら今度は銀歯が取れた…