まだ100km走ってませんが
網膜剥離で2カ月ぶりのチャリンコなんですがここ数年の不調が分かったわ。目が変だったから数百メートル先の斜度が分からなくてギアもペダリングもクソ下手だった。目が見えると言うのは誠に高度な処理だった。 pic.twitter.com/wjI71IQpAD
— 半田繁幸 バイクお風呂りんぐ (@HANDAsigeyuki) October 10, 2025
まずは10月11日にraptobike美希号で周南のみずほ銀行ATMまで行って通帳記帳してきた。とにかく5年前、東京から山口県に来たあたりでどうも自転車趣味の調子が悪かったのは網膜剥離が徐々に進行していたのかも。と思えてきた。東京の上司の裏切り、実家の家族の裏切り、自己破産の裁判など別に精神的にストレスは感じてなかったのだが、ブルベは完走できないし落車は増えるしでなんか変だな俺も歳かな~とは思って居た。

で今日はorigamiやよい号で上関あたりを回って来た。県道23号線のあたりはやはり古墳が多い。どうも山口県の歴史を調べるに明治大正のころ最初に調査が入ったので今になってみると当時の調査がかなりいい加減というか、それに結構日本初の発見がされているのだが、その発見をもとに後日各地で重要な発見がなされてイマイチ話題性が薄れてるとか、これらを評価するにはマニアックな、ていうか、面倒くさい真面目な考古学上の価値を改めて説明する必要があって、でも頑張れば割と盛り上がるんじゃねえのという気はしている。とにかく、いままで見えなかったものが見えるというのは有難い。実際GPSデータをぶち込んだstrava.comの数値は上向きになっている。
今私の右目の水晶体はアクリルに硝子体はシリコン(もちろんアミノ酸と合体した新素材的ナニカらしいw)になり妻がぼくの瞳をのぞき込むと「オッドアイみたいに左右で色が違うw」と笑ってくれた。まあ、見える。実を言うと自分が子供の頃、小学館か学研の学習雑誌で「左右の目の役割は立体感のため」との説明を読んでもイマイチぴんと来ない人生をずーっと送って来たのである。つまり自分の人生で「立体感が分からない」というのは色盲と違って誰にも伝わらないし自分からも特に情報発信する意味がない状態だったのだが、この8月末に手術を終えて眼から空気が抜けて職場復帰したころ、ふと職場から廿日市の山々を見たとき、「アレ?なにこれ?これが立体感!?」とちょっと感動したのはヒミツというか、他人にとっては当たり前すぎて伝えようがない出来事が起きていた。
ただし右目の水晶体は人工物なので単焦点でありピントは手の届く範囲1m弱(これもまた歩行等日常生活を考えたら妥当な距離)のところに固定されてて合わせられない。眼球を筋肉で収縮させる範囲では(素人の考えだが、おそらく)少しだけ可なのだが。とにかく、54歳で硝子体がしぼんでしまうのは医者から言わせれば「ちと早いですね」という由、もしかしたら子供のころから先天的に障害があって網膜がフワフワしてたのかも知れない。そんな目で筑波大学の芸術専門学群に推薦入学したのだから苦笑いである。そしてもちろん皆さんご想像の通り、両目による立体感を感じなくとも影の陰影とピント合わせと表面の質感、空間の数学的演算で立体を認識してきた。
とにかく、ぎこちないながらも、路面が見える。シャアの気持ちかも知れない。走りやすい。路肩の割れ目に乗り上げても数秒前から心の準備が出来ている。安全である。なにより長距離で疲れない。2017年に東京から大阪まで日本橋600kmをクリアしてたときもそんな調子だったから目と脳の応用力はすごい。ただあの頃と違うのはピントがあってないけど立体感があるのでもうひと味、なんかが違うのである。日本の様々なインフラに有難みを感じている。有難う安倍ちゃん。そして高市さん、東京では半年に1度ぐらい決算報告と予算案の役員会でお会いしてましたが、おめでとうございますw
