ギックリ腰が治った!
ニュートロンは”くずれない円”である。ママチャリのホイールが弾力性のあるわざわざ新素材で作った冗談グッズみたいに思えるぐらいだ。それはシャープで、直進性があって、狙ったところに必ず行って、そして、疲れない。ゆっくり走ると八代亜紀の歌を聞く宇宙人ジョーンズみたいに「じーん」とくるもんがある。♪しみじみ漕げばぁ~しみじみとぉ~おぉ~♪と歌ってしまう。もうウットリして時が経つのも忘れるほどだ。
今日はニュートロン履いて自爆して死ぬかと思ったが豈図らんやユックリ(リミッター付きの原付ぐらいのスピードで)走って生きて帰ってきた。さあ階段を登ろうと自転車かついだらアラ不思議。腰が痛くない!治った!ギックリ腰が治っていた!!不思議なこともあるもんだ。
さて。
最近、自動車を見ると「ママチャリが進化したもの」という見方をしている自分に気がつく。誰でも乗れることを目指した、とことんメンテナンスフリー。速く、コンフォートに、安全性に、本来の目的に縛られて、ただそれだけのために進化して、ごってり装備で環境負荷を高めて、結局、そんなに速くなくてもいいのに速くし過ぎて、そんなに安全でなくてもいいのに安全にして、安全し過ぎることはないですと?いや、実はそもそも自動車の外側の、日本の道路事情、そして怠ければ退化する人間性にもかかわる人間社会全体を考えれば、そもそも自動車というシステムに安全性を求めることが無理だったりして、そうして本来の目的からどんどん外れて、喜んでるのは経済評論家だけ。という寸法だ。カッコ悪い。
その一方で、「今、STIレバーが壊れたら交換する部品がない05LEGGERO」も見なくてはならない。スポーツ自転車は、華麗で、カッコよく、訓練しないと乗れたものではない。だが、しかし、一方でロードレーサーはメンテが必要な消耗品のカタマリで、おまけに流行があって製品サイクルも速いのだ。
今回(の騒ぎ)もRD不調→2万3万のパーツがどんどん消耗されていく。チェーンなんか半年で5000円。(HG50は安いけどすぐ錆びる。さすが5000円のWippermannは錆びない!)ビンディングペダルも1年で1万円。チェーンリングも換えないと。そしてムカツクのは新製品のために在庫ナシ。今まともなロードで9速を組もうと思うと面倒。なおかつ寒くて狭くて混んでて時々朝鮮おかみが顔を出す鷺宮のワタナベサイクルに行かねばならない。苦労やメンテナンスは楽しいが、経済性とか資源の有効利用という意味では自転車だって不満が出る。
不満があるというのはどういうことだ。AよりもBが欲しい~!という単純な物欲ではない。今の私は自転車(&ワタナベサイクルのさんちゃんの思惑)に振り回されてるのだ。どこを大事にしたらいいのか。どのパーツがおいくらでどういう変化をするのか。どんな乗り方をするのか。消耗と流行のはざまで、自分のスタイルを見つけなくてはならない。という問題だ。
似たようなもんにWEBカメラがある。俺のモーロクしたジーサンバーサンが右往左往してる山口県の実家にWEBカメラを設置しようという話があった→俺の机の下で寝てる型落ちPCでも置くか。が、一番手っ取り早い&(あらゆる方面の)環境負荷も少ない。どの程度の実現か?30秒に一枚更新HTTPサーバにjpgがあるよ。ならWin98SEで十分だ。だが、ウィルス対策やら、せっかくPCがあるのだから…とかいい始めると途端に話は破綻する。
メンテナンス。保守。Aさんが「あーしたい」という欲求→実現。してる状態を、保つ。「マスター!マスター!マスター!」をなくす。ことに支払う、エネルギー。未来。予測。共感。(関係ないけどインフォームド・コンセントの訳は共感診療でしょう。医者が間違えたら患者も間違える。だがそれがいい。”納得”じゃバカが説得されたのも含まれるぞ。日本の言語学者は高校哲学やってないのか?)ここまで来ると、マルクスの唯物論が頭をもたげだす。「おまんら、おまんらが作ったものから逃れられまし?」怖い。その怖さはゲーデルの見つけた不完全性定理と双璧をなす。と同時に、不完全性定理を解く寸法に似た方法しかないのではないか。
「条件を緩めよう」
マルクスが(当時の)営利だけに走る社会や人間を見て、こりゃイカンと考えて唯物論を発展させたわけだがその批判は今も生き杉。自分が作ったモノやカンキョーに振り回される人々。なんかスローガンとか思想とかこさえて一箇所に的を絞らないとたいしたことができないのは人類の性?大自然のようなぼ~んやりとしたしかし馬鹿でかいパワーを、いつになったら人間は制御できるのだろうか。勉強とか学問とかは人類が一極集中に走らないように多様な価値観を共有するためのものであり、悲しいかなそれ以上のことはできない。俺がいまだにMSXでMIDI楽器いじったり、PC-486GRをスキャナ&Mac用MO読み込みマシンとして残したり、カシオペアA-51にこだわってX01HTを使わなかったりしているのは、なんでだろう。共感とは物質の存在感のことである。自転車は大自然と大いに接点がある(自動車の比ではない)。人間同士の共感は意識の集中という危うさを持つ。リップスの感情移入論は現代にもっと見直されて良い。(要するに自動車を捨てて自転車に乗れということ)