
中、高と修学旅行は九州、東京だったので奈良は初めて。齢55歳にて東大寺のでかさにビビり、そしてすれ違う外国人どもに「お前らガイジンの国は日本以下なんだろうなwww」と株価以上に優越感半端なく大変有意義でした。

まず山口県の自宅から高速道路を400km以上走って斑鳩町三井観光自動車駐車場に着いた。公衆トイレの他は平日とは言え誰も居ないセキュリティが心配なぐらいの駐車場であった。

ここからテクテク徒歩で法隆寺を目指す。自動速度調整機能つき3ナンバー車とは言えワシ一人で400km走ったあとなので結構疲れてたのだが奈良のド田舎のどかさに癒される。

道中の様子もなかなかすごい。ワクワクさせられる。これは古都奈良の貫禄を見せつけられた。岩国市の城下町にもこうした壁もあったのにほぼ全部ブチ壊して訳の分からない昭和時代の公園にして多くの遺産を失っている。

ともかく昼食を。ということで女房がこれまた世界秩序破壊の急先鋒iphoneを取り居出しておすすめ「ギャラリーカフェ 鵤樂舎」に入ってみた。「OHAKO」はなかなか他では味わえない細かい技を繰り出す感じの味で美味かった。パスタもデザートもあって夫婦二人で6400円はまあ安い。ここは宮大工小川三夫さんの所縁の家らしく西岡常一氏とあわせて簡単な説明をしていただいた。

日本人として法隆寺を初めて見る。五重塔と言えば山口県人としてはまず瑠璃光寺の室町時代の完全和風に完成された五重塔を思い浮かべるので「これ日本ちゃうやん。完全にchina様式やん」が素直な感想だった。おそらくchineseがみたら「懐かしい」と思うであろう古臭さと無骨さにこれから世界に打って出ようとしてた飛鳥時代の大和王朝の若々しさと猛々しさを感じる。

さて今回ABホテル奈良で運よく入庫できた俺一人で400km以上走ったGJアテンザワゴン。今まで日産マーチだと二人で高速走る作業を分担だったのだが自動速度調整機能で一人で乗り切ることが出来た。さすがに疲れは感じたが一度味わってしまうとコスト面から鉄道旅も遠のくし今後車を買うにしても自動運転支援機能がない車には乗れない気がする。

JR奈良駅歩いて5秒ぐらいのホテルだったので奈良駅でお土産買ったり「ゆるりJR奈良本店」というお店で呑む。そんな悪くはないけどせんべろ系だったので失敗だったかも知れないがまあ夫婦で酒そこそこ飲み食いして7,610円なら良いかも知れない。

そうして2日目ABホテル奈良の朝食に感動しつつ午前中は奈良公園と東大寺で人生初の大仏様も拝むことが出来た。写真は筑波大芸専卒として見ておきたかった南大門。

大仏殿には重源さんの説明もあって良かった。

興福寺の五重塔は工事中だった。ここでも阿修羅像など教科書で有名な仏像を肉眼で見れて大いに喜ぶ。

天極堂奈良本店で昼食。観光地のど真ん中なのに美味しくて量もあって夫婦で5,615円。デザートの葛も美味しかった。ここで午後から俳句の会に参加する妻とは別行動に。

一人となった午後はまず「グエルバイシクルストア 奈良本店」にて406の自分で組んだホイールのテンション調整を依頼。結局夕方に「このままじゃ危なくて手渡せないのでフレ取りもしました」とけちょんけちょんに言われながらも前後で8,000円で安全完璧に生まれ変わったホイールを手にする。奈良はホイールメンテもバッチリ出来るちゃんとした自転車屋さんがある大都会であった。ただ横田交差点からグエルバイクまで斜めに伸びる旧24号線はGJアテンザだと狭くて泣きそうなクソ田舎道であった。

グエルバイクの皆さまがわしのクソホイールに悪戦苦闘してる間に張本人は石舞台古墳までサイクリング。その日の宿は「ビジネス旅館やまべ」安宿のつもりだったがなかなか居心地の良い宿であった。近くのローソンで買った酒飲んで寝ようとしたら妻から「今から夜の奈良で会えない?」とまるで学生時代みたいなLINEを受け取る。どうやら俳句の爺婆連中がとっとと寝てしまったらしい。だが飲んだ後なので断ってサローヤンの人生喜劇を開いた。あまりの昭和左翼臭さに準主人公が「千歳の岩」を歌い始めたところで脱落。

夜が明けて妻と合流し奈良を出る。行きはある程度余裕があって速度を85キロに設定していたのでリッター30kmいくんじゃないかぐらいの勢いだったのだが帰りは「夜7時までには帰りたいなあ」と焦ってしまい設定速度をムニャムニャキロメートルにして結果20.7km/lであった。身体も結構疲れた。吉備SAのサンマルクカフェでコーヒーを注文したら隣で妻は「ゆず茶」を注文していた。自分はこんなものを高速SAで売ってるサンマルクカフェを見直した。さらに今ならSサイズがMサイズ同額とのことでMサイズだったので分け合って、ていうか妻から大半を譲ってもらって飲んだら疲れがかなり軽減した感じ。サローヤンが書き留めるまでもなくぼくらは何十年も前から、もしかしたら何十世紀も前からそうしていたのだった。




























