先週末、つくばで飲み会があった。酒を飲むので自転車に乗ってはいけない。歩いた距離は10,120m。駅から帰るころには靴下がずれて足の裏にはさまって歩きにくい状態だった。
しかしそれは靴下ではなかった。
私の(自転車に乗ることによって柔らかくなってしまった)足の裏の皮膚がはがれていたのであった。
そういえば吉村作治が「自転車に乗る人は健康に良いと思っているだろうが、健康のためなら歩け」と言っていたことを思い出した。ママチャリにぶつけられたかわいそうなヒゲのおっさんに言いたい。私は歩くことを放棄したヒトである。ついでに言えばママチャリは自転車ではない。
私のこれからの人生において、歩く距離も時間も、私が自転車に乗っている距離どころか時間にも比較にならないほど少ないのだ。いずれ人類は脚というゆりかごから離れなくてはならない。そのことはエジプトの歴史を勉強している人なら理解できるだろう。ただちょっとしたきっかけ、自転車に100万円ぐらいポンと出してみることである。
自動車やオートバイを楽しんだ後に自転車に乗って私は確信した。人類の存在の全ては自転車のためにある。エジプトの満天の星空が民間伝承とともにギリシャ神話になったように、先ず人類が閉じた世界(地球)で分かった気になっていたほんとうのエネルギーの存在を復習するみちしるべ。それが自転車である。
私はいまだに自転車がどうして前に進むのか理解できないときがある。その不思議さは自らの身体を削ってちぎって変化させて…いつかヒトと呼べない身体になっても余りある感動である。