ついに前後ホイールを自作。女房に風邪がうつったので俺が代わりに運転して山口に行く。

いきなりですがついに我が人生で前後ホイールを自作することができました。コツは3mmぐらいのフレなら気にしないことですw

これで俺も21世紀の日本に何人存在しているのか分からないいっぱしの自転車乗りを名乗ることが出来ます。バルブ穴の位置がいまだに合わせられないのは秘密。

でDragonbikeで買ったRifle AK20春香号につけて女房が風邪なのに俳句の会で借りた本を返却するため古都山口をポタリング。

遠方から来たと思われたのか囲いが取れた瑠璃光寺にてボランティア案内役のじいさんに写真を撮られるw

瑠璃光寺は山口の歴史を調べたら分かるが陶弘房の菩提寺で本来の大内氏の菩提寺ではない。陶弘房は応仁の乱最大の戦闘と言われる相国寺の戦いで戦死している。そもそも応仁の乱では大内氏が西軍の主力と言っても良い勢力で、大内氏とは世間一般では足利義満が統一したと思われている南北朝合一の仲介の主役だったり、そのため勢力が強大になって義満とガチ対決して一度滅ぼされかけたとか、最終的には陶晴賢に大寧寺の変で滅ぼされるのだが、どうもその原因が単なる下剋上ではなく京都から山口への遷都が原因であったのではないかというトーマス・コンランの新説が割と説得力があったりで、大内氏は経済的に既に日本を統一していたんじゃないかぐらいの勢いだったことを古都山口はもっと推すべきだと思う。

みずほ銀行山口支店で通帳記帳と繰越。ついでにカードの磁気情報を更新。ちなみにvee speedsterはマレーシアのサイトに451を6本注文したのに1本だけ406だった由。

横浜生まれ宇都宮育ちの妻が「そのデパートはデパートと呼ぶにはあまりに小さくてびっくりした」と古都山口市民がガチギレしそうなことを言い放った井筒屋前の茶店ドマーニでコーヒーと生クリームあんこクレープを注文。でっか。店員さんが誰かのオムライス運んでるな…と思ったら俺のクレープだった。そしてこれは子供の頃憧れた甘い生クリームだわ。美味い。最近の生クリームは美味しいけど甘くなくてまあいいかと思って居たけどこれはすごく良かった。

風邪引いたので津和野に向かって70km程度走ってみたら「糧」という明治大正の病院を保存した野菜料理レストランがナニを小癪な(椎名誠風)感じだった。

やよい号では諦めたコンパクトクランクがもう手放せないraptobike美希号で周東町から津和野までのゆるい登りを70㎞ほど走った。ものすごい晴天のなかで何人ものモト・人力問わずライダーさんたちと笑顔でアイサツを交わすような人間になってしまった。津和野手前の徳佐の9号線沿いのセブンイレブンで日産マーチの妻と合流。風邪を飛ばすにはちょうどいい機材とコースであった。

で徳佐からは20㎞、津和野から10㎞の「糧」というお食事処へ。割と津和野駅からの道は山道あたりは山口の歴史を調べるとなにかとちょっかい出してくる吉見氏の領地っぽく「へえこのへんの人だったのか」と感慨深い。とか思ってたら「堀庭園敷地内 旧畑迫病院」なる建物があって明治に畑迫村の堀さんが鉱山で財を成したため地域のためにと大きな病院をおつくりになられた由。それを保存してレストランとしていると。これは面白い。

病院、医食、まあ薬膳ぽい?ということでお野菜が中心のようだ。カレーの、写真で言えば左半分は美味かった。もう一回来ようかな。と思うぐらい美味かった。

ビュッフェの女房が帰って来て俺にお皿をごろうじる。正直自分の様に自転車に乗ってる(体重を気にする)人間としてはいろんな野菜がアレコレてんこもりになって出てきてちょっと狂喜。

デザート。ああ季節のアジサイね…そういえば今年は梅雨明けが6月末で「あらここらへんの葉っぱの塊、アジサイだったのか」という山道がいっぱいあった。雨が降ってる時期に山岳コース走るわけないからなあ…とか思いつつゼリーほじくってたらムギが入っててなんか甘い。これも意外で美味かった。このあたりでむむっと思う。これはこの手の施設でかなり上手いことやってるなあ。

食った後適当に明治大正昭和と病院だった建物を見学。面白い。くっそー山口県の粭島の小学校なんかこれ以上にカッコいい建物だったのに取り壊されたんだよな…あと本郷の市役所支所のカワイイ建物も影も形もなくなってしまった…島根県がうまいことやってるのはくやしい。隣の県民としてくやしがるべき。

メチャクチャ面白いわけではないですよ。歴史資料としてはもっと切り込んだポスターが欲しい。しかし、建築は本物なので高圧電気とか天窓とか水回りとか、環境省辞めて広島でドカタやりはじめた身としてはやっぱり面白い。

そんで津和野駅前の喫茶店でコーヒーしばきつつ鷺舞みようぜと涼んでいたら煙が見えた。マスター曰く「SLが16時に出る」そうであわてて撮影。我ら夫婦ともども蒸気機関車が動いているところ見るのは初めてで興味なくてもやっぱり良いもん見たなあ感は半端ない。迫力もあったしなにより音がでかくてかなりビビる。D51200は「あだち勉物語」であだち充が昭和40年代に兄から400円で依頼され描いたSLである。つまりコイツはあの当時から記念碑的存在で19歳がちょいと絵の資料にする雑誌に出ていたのだろう。

で鷺舞のほうは暑くてついていくのが大変でした。おじさんが汗かきながら頑張ってました。これは津和野一日見るものてんこ盛りですわ。妻のお陰で「糧」を知ることが出来て良かった。

厳島管絃祭に行ってKHSのT-20亜美真美号で岡山の羽山第2トンネル行ってしまなみドルチェ行ってきた。

東京に居た頃なんちゃあ「風の盆」とか言って富山の祭りが話題になっててまあ都会人が地方の祭りを云々言いたがるのは正直胡散臭かったが、そんな地方の特殊なお祭りみたいなのが宮島にもあるらしく女房が行こう行こうとうるさいので行ってみた。

7月11日金曜日の夕方、会社へは電車通勤しJR阿品駅で妻と合流し広電阿品駅へ向かう。もう40年ぐらい前小学校に入ったか入る前かの頃ナタリーに行った記憶があるんだけどそのときここを通ったのか通らなかったのか。

なぜ宮島口ではなく阿品で広電に乗ったかと言えば地御前駅で降りてこの地御前神社での厳島管絃祭を見るのが俺の希望だったから。国道2号線からなんかでかくて立派な神社があるなあ。と思ってたら地御前神社だったので前から行ってみたいと思って居たのだ。

でかい玉串。ニンジャマスター・ガラの手裏剣並みである。聞くところによると宮島が禁足地だった頃この地御前神社が宮島神社だったそうな。立派なわけである。

我々は厳島管絃祭がどういうものか全く知らない。栃木出身の妻は「厳島(宮島)に行かなきゃ」と思っていたようだ。とにかく地御前神社では人だかりも屋台もそこそこあって夏祭り感は十分存分に味わえたので満足である。

お祭りのクライマックスは宮島からなんか怖いお兄さんがいっぱい乗ってる船が来て子供たちにモチ撒いて神主さんが祝詞をあげてまた宮島に帰っていった。そういうお祭りであった。どこかで地元住民らしき方が「ことしは明るいね」「7月11日は(旧暦でズレて)早いね」とか話していた。

で次の7月12日は岡山に羽山第2トンネルという珍百景をyoutubeでことさら秘境っぽいことが強調されていた場所へKHS T-20亜美真美号を車に積んで行ってみた。高梁市成羽複合施設たいこまるプラザから6km弱の、タンデムによる二人力の恩恵が得られる程度には斜度がある山道を登った場所であった。最初妻にパイロットを任せて俺はストーカーやってみたのだがあまりの妻の自転車を漕ぐ動作の無駄の多さに呆れ果ててしまった。警察の交通安全のビデオでお巡りさんが自転車に乗ってる(ていうか自転車の上でなんか足をふにょふにょさせてる)ビデオを見せられてる気分だった。

まあ素人込みタンデム自転車で危なっかしいことなく登れるお手頃観光地としては見ごたえがあった。これが妻みたいな自転車素人ひとりだと無理ですね。かと言って俺みたいな自転車玄人だともっと数十キロのコースの一部にしないと全然物足りない。KHS T-20夫婦コンビがたまにタンデム車を動かす理由としてはちょうど良かった。

とりあえず宿の福山センチュリーホテル近くの居酒屋てっぺいで飲んだ喜平ってお酒がなかなか美味しかった。いぶりがっことかトマトとベーコンの串焼きとかワシらが大学卒業~都内に就職したころの定番メニューが生きててこれも美味しかった。

最終日7月13日は予定がないので「しまなみ海道でも行くかあ」と生口島。しまなみドルチェは初来店。肉まんも食った。なんか夏休みっぽい。

俺がランドネきたかんで初ブルベ体験して「なんでこんなバカなことをしている人々がいるのか」と思ってた頃始まった「ろんくらいだあす」の色紙もあった。

ついでに1本ぐらいしまなみ海道の橋渡ってみるかということで多々羅大橋を渡ってみた。夏っぽいですね。すごくさわやかだがこのころ厳島管絃祭でノーマスクだったので訳の分からない夏風邪に身体を蝕まれていた…

人生初ホイール。

土曜の長野山天空のカフェの前輪は俺が一度組んで師匠曰く「いくら再利用したいってこんなリムは初心者はムリ」と組みなおしてくださったホイールだったので今回のコレが俺が初めて自分で(測って注文して)組んだホイール。テンションゆるゆるだけど一応センターでてフレも3mm以下です。

あと携帯をF-41bからF-51bに変えたのだが速度的には満足なんだけどなんだこのカメラ。iphoneみたいなクソ映像発生器みならって訳の分からないボケ処理入ってる気がする…最近のガキ(30代中心)がいい加減ワシらが1980年代に夢と希望で一杯だった情報デバイスにこういうクソみたいな仕事させるのやめてくんねえかなw

散髪しに隣町(柳井)まで20kmダム湖3個超えて。

散髪でも行くか~って隣町まで単車で緑だらけの山道を走るわけですよw東京でこんなの考えられない。田舎暮らしの夏が楽しくて笑いが止まらない。

そういえば普通自動二輪の免許取ってSR400で過ごした東京の夏はひどかった。高架下の渋滞なんて拷問だった。すり抜けみたいな下衆いことしないで都会で二輪車に乗るのは難しい。翻って田舎にずっと住んで免許取ってMOTOに乗ってたら、まあ、「二輪車としての楽しさはコレが上限」とか思っちゃって、日本人としての人生でマトモな日本人向けではない欧米基準の自転車に一度でも乗ることはなかっただろう。

2025年の梅雨は7月に入る前に開けていきなり猛暑で身体が慣れるか心配だったが古民家での夏はとにかく窓を開けてクーラーを29℃設定にする。なんとなくどっからか涼しい風が来ると心地よいのだ。底辺のスポットクーラー的味わいと言われたらそれまでだが、どうせクーラーつけっぱなしならこっちのほうが良いと思う。

ショック!152.5mmのコンパクトクランクをリカンベントにつけるとマジで坂が登れない…

ショートクランクについては別府史之氏ほか諸兄方が「平坦はいいけどスプリントとかトルクが必要な場面では困るで」とおっしゃっていたがその通りだった。周南市の長野山、天空のカフェの坂は平均10%が5kmぐらいなのでそんなに激坂でもないのに変に苦しい。おかしい。身体が衰えたにしても納得できない。体重も体調も万全。そうか、ショートクランクによるトルク不足か。これはキツい。頑張ればどうこう言う話ではない。出せるパワーが人為的に(俺じゃ)カットされてるのだ。今まで積み上げてきた経験がまるで生かせない。これではいくら平坦が楽しくても折り畳み輪行でマルチロールファイターやらせてるazub origamiとしては使えない。帰宅して170mmの105に戻したの図。平坦ではstravaでガンガン新記録出してたので正直悲しい。

しかし以下余談であるが、raptobike(美希号)でもショートクランクで周防大島の文殊山を登ったけどこんな苦しさは感じなかったなあ。もちろん「こりゃダメだ」と諦めて推して歩いたけど。器用貧乏やよい号とは違って無自覚天賦の才美希号はそういうバイクだから良いのだが、それにしても長年乗り続けたリカンベントで登坂の楽しさ(苦しさ?)の違いがあった。前輪駆動(チェーンの長さはロードよりちょい数コマ足しぐらいで駆動系のダイレクト感がトルク不足を補うイメージはある)と後輪駆動(チェーンの長さはロードx3でちょい余るぐらい)だと何か違うかも知れない。ただの感覚の話なのでなんの利もないがこの夏のテーマになりそう。

兎も角ショートクランクをクルクル回して走った長野山までの平坦は楽しかった。周南市の田んぼがほとんど水が張ってないのに驚いた。梅雨が異常に短くてJAがそう指導してるのか鹿野の渋川のさらに北に行かないと水田が現れなかった。

鹿野と言えば東京の立憲民主党や共産党でズタズタにされた女性人権運動の聖地二所山田神社だけど西京県の本流としては蔑ろにされている現状こそ誉。

石船温泉を過ぎたあたりで目観音様なる観音様を発見。網膜裂孔の自分は思わず参拝。そういえば前輪は師匠に教わって組んだR390です(あまりにリムがガタガタ(空気圧120psiとか入れてた時代のシロモノなのでサイドが膨らんでたとか)だったので俺が組んだあと師匠が組みなおしてたがw)。これでスペアのTPUチューブのバルブ長がおそろいで済むのだ。

あと天空のカフェの坂の入口あたりで五郎万橋を作ってた。長野山へ登る道は岩国側の道路はひどいもんだけど周南市は税収が良いのか頑張ってますね。

ショートクランクで苦しんでたどり着いた天空のカフェでカレーを食べる。こんなとこ誰もこないだろと思ったら割と客が居て20分ぐらい待たされたがお米を補給するとホント疲れない。

で帰り道定番のコッチネッラは…売り切れ!どうしたのよ岩国市と周南市。なんか賑わってるのか?

しかも去年から錦川沿いコースには江木商店があって自転車乗りとしては心強い。コッチネッラで補給できなくてもここで十分休める。夏の猛暑で100km走るには周防大島巡回コースしかない状況は変わりつつある。

amazonにてKQFCAZREコンパクトクランク152.5mmの2個目を購入し走りまくる日々。

昨今流行りのコンパクトクランク。リカンベント自転車なのでヒールキックが怖くて導入したいのだが152.5mmなんてどう考えても安いパワメの目途がなく、しかしヘッドアングルスペーサーにもできることには限りがあるし重量は増えるしで、せっかくだからこっちを選ぶぜと清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入したコレ、2個目買いました。(54歳爺のファンライド用途なので強度は問うてない)

前回まあまあ軽いなと思ってたら580gでした。ハッキリ言ってここ10年クラスの「買ってよかった逸品」ですな多分。なんだろうこの感じ。1回転で進む距離も11速で割り振られる距離も同じなのに瞬間的なトルクが細かく細分化されたのか高ケイデンス(50~60が60~70になっただけだが。そこ普段90以上の人笑うな!)維持が楽に→つまり坂とか長距離が楽に(感じられるように)なって体重が80㎏切ってきました。もう理論はどうあれ、仏教とかギリシャ哲学とかでいう修行というか実践とうか、この「感じられる」が重要なのよね。

男ってのは太っていると警戒されまくり。新次郎がかつて天下りと二分するほど忌み嫌われていた随意契約を企業とこれまた単なる癒着してコメを安く売ってもマスコミが好意的に報じれば日本人の朝三暮四ここに極まれり。そんなわけで今の人からは信じられないだろうけど実の母から「畳の上で死ぬのは恥ずかしい」とガチで教わった最後の世代の長州男子としては虫の湧いた買溜戦士古古古古古古古古古古古古古古古米を抱いて畳の上で死ぬ人間だらけの世間を長距離ライドを楽しむしかないのであります。

先週の5月25日、女房が防府で俳句の会があるってんでカーサイクルとしゃれこんで防府→山口市でみずほ銀行の通帳記帳→道の駅仁保の郷でつっぺ焼き購入して帰るコースを選んでみた。防府では晴れてたのに仁保から徳地まで気象レーダーに映らない雨で結構参った。

参ったと言えば仁保の郷がリニューアル中でつっぺ焼きが販売休止中だったこと。でもまあこれも記念と言えば記念。

あと動画では(もちろん)カットしたけど犬鳴滝の手前高瀬サンスポーツランドでおそらくウルトラマラソンなど嗜むお姉さん二人組(年齢表現については不問とする)ににこやかに話しかけられたこと。この冬は目と耳が氷点下のモトで再起不能な損傷を受けるぐらいに太っていたころに比べると痩せてから本当に人から気楽に話しかけられるのを感じる。スポーツ重要。機材選びも重要。

 * * *

さて今週の5月31日は日本最古の石器だと認められたニュースが報じられた冠遺跡付近まで行ってみた。そういえば国道434号の須川バイパスが3月に全線開通しててそこを通れたのも良かった。

国道434号と言えば寂地峡と言えば「菩提樹」の山田うどんとわさび丼。結構美味なのだがわさび丼についてはお上さんのアドバイスに従わずちびちびわさびとお米の割り振りを考えて食すのが俺流。

事前情報で冠遺跡は私有地だから入れないことは知っていたのだがいつの間にかドッグランの施設がきれいに整備されて建物もとても明るい雰囲気になっている。

犬連れてない自転車野郎でも問題なく食事やコーヒーで休憩できる施設で、見晴らしが良くなかろうとも峠にこれは、誠に誠にありがたい。子供連れが多いので気を付けなくては。

国道186号を南下して広島県道30号線から国道2号に出よう。とくれば周防大島の幸進堂と並んで安くて美味しい津保美堂で女房へのお土産を買う。特に白あんが美味い。写真は通りすがりの奥様に一生懸命支えてもらって撮影。スンマセンと告げると「津保美堂を宣伝してくれるので」で感銘を受ける。当日はマルシェかなんだかお祭りのようだったけど、自愛も大切だし地元愛も重要だなと思った由。