ある随筆を読んだ。
…映画「おくりびと」で有名な青木新門の「納棺夫日記」には”最近とみに、ぶよぶよとした死体が多くなってきた。ナイロンの袋に水を入れたような、青白いぶよぶよ死体である。私が初めて湯灌・納棺の仕事を始めた昭和四十年の初期には、まだ自宅死亡が五割以上もあって(略)枯れ枝のような死体によく出会った”とあるそうだ。
続けて世田谷区の特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の石飛医師が”八丈島で食べなくなった高齢者が水の少量補給だけで安らかな往生を遂げる事実からヒントを得て”著書を発表したり、老人ホームでそれを実践していることが紹介してあった。
つまり、近代施設の整った病院でチューブにつながれ、無理矢理栄養分を注ぎ込まれ、水の張ったナイロンの袋のようになってしまう死よりも、食事がとれなければ無理にとらずに水分だけをとり、枯れ枝のようになってしまう死こそが、良い死であり、楽な死なのではないか。その期間は、およそ2週間とのことであった。
さらに「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」には、”高齢の末期患者が飲食しなくなった場合、無理に胃ろうなどの処置をとらないでいると、生存期間は短く約2週間ほどであり、あまり苦しまずに死を迎える”と、米国でも同じような報告があることをその随筆は添えていた。
…私が読んで「へえ~」と思ったのはここまでである。もしかしたらこれが地球上に住む生命の究極の安楽死かも知れない。自転車と同じように極力道具も薬もいらない使わないというのは、私の直感にせまるものだった。
世の中に自殺の方法は山ほどあるが、どんな死に方が痛みもなく楽であったかは、自殺成功者がこの世に戻ってこない限り分からない。病気で死んだ場合もしかり…つまり、一度死んだ人間が生き返りその体験談を語らない限り、永遠のテーマなのかもしれないですね…
お久しぶりです。死んだ人に聞いてみたいのは具体的にどうかですよね。
”食べなくなって水だけになってから2週間ぐらいで死ぬ”っていうところ抜けてたので追加しときました。
チューブだらけになって頭がバカになって半年も何年も生きる親戚のじいさんばあさん何人も見て怖かったけど、”何も食わずに水だけで2週間”ならなんか「なんだ、いけるじゃん!」みたいな実感ありますね~w
自分も身内に年長者がいるので考えさせられますね。しかしこれも「アイマス」の話題とつなげて見てしまう自分の脳が恨めしいw
公式は「2」という方法で「アイマス」を延命しようとしていて、それを望むファンもいたけど、その層と同じぐらいには、安楽死を望むファンもいたんだよなぁと。
食欲があるのに食べないのは苦痛かもしれないが
食欲がなくて食べないのはかえって幸せなのかも