生きるために自動車が必要。というおぞましさ。

(連絡)先ほど気がつきました。ファーマシストさんのコメントに返事することをすっかり忘れてました。すみません。ミッドレーサーですがお金ないから買ってません。raptobikeですがまだ埼玉の絹自転車からなんの連絡もない状態です。
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 carry freedomとTR-1。物資が足りない、今まで通りにすんなりモノ手に入らないときほど自転車のすごさに驚かされるときはない。全くなにも変化がないからだ。都内のスタンドはどこも自動車の長蛇の列である。本当に自動車は呪われた存在だ。自転車に乗れば分かるが、自動車はオモチャなのだ。遊びの道具なのだ。そこらへんのオバチャンが「水を買いに」とか「生きるために」自動車がなくてはならない社会システムというものは、あってはならない。自動車とは本来、走ることを楽しむための嗜好品であって、生活必需品であってはならないのだ。自転車はそんな社会とか人間の生活とかなんぞとは関係ない、地球とか大気とか重力と同じような、動かしがたい、存在がゆるぎない、基本的な存在のままである。自動車はそうではない。不条理な、バランスを欠く、とってつけたような。いずれ終わる。進化の先に希望が見えない。

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