思ったのだが、自転車は良いものだ。多分俺は、俺の人生で、二度と自動車に自ら進んで乗ることはないだろう。
名古屋へ行ったときも、自転車以外の選択肢は無かった。(1)荷物が10kg以下。(2)天気は初日以外良さそう。(3)休みがとれた。
荷物と天気と時間の問題さえクリアすれば、今後俺の人生で日本中のどこへ行くにも自転車を選び、電車や自動車を移動手段に選択することはありえない。それは自転車に比べて、つらいし、つまらないし、きついからだ。
最初にクロスバイクのルイガノTR-1を買って、マトモな自転車に慣れたら、東京→町田は自転車で行かない人は頭がおかしいんじゃないかと思うようになってきた。そして今、誰もが東京→宇都宮ぐらい自転車で行く社会にならなければ、日本に未来は無いのではないか。とさえ思っている。これは誇張ではない。ごまかしでもない。正直な気持ちだ。
そうした今、自転車のマナーの悪さには本当に頭に来ている。
歩行者が居る横断歩道を平気で横切る。無灯火・携帯電話・合図のない急な方向転換、急ブレーキ・合流するのに後ろを見ない。コンビニ袋を下げて幹線道路の車道を平気で走る。単車や自動車に譲るべきところで譲らない。動力車をうまくさばけないのに車道を走る。…
俺は日本の自転車乗りは幸せだと思っている。たしかに自転車のことを考えられたインフラではない。自転車通行不可の高架や左折レーンのトラップ、自転車を倒すことだけを考えて作られたとしか思えない細かな凸凹のある歩道、小石と路駐車両と路溝のフタだらけの路肩。文句を挙げればきりがない。だがそんなもんはテクニックでいくらでも回避できる。ないものねだりして不平不満を言うより、実際に走って知恵を絞れば決して劣悪な環境ではない。
そんなことより、今の現状では自転車よりも自動車のほうがマナーがいいと感じるのはどうしてだろう。それは自転車よりも自動車のほうが交通ルールも刑罰も徹底しているからだ。自動車はクラクション鳴らしたり、怒鳴ったり、幅寄せしてきたりして、マナーが悪いとは言われるけれども、ちゃんとよけてくれるではないか。それに対して、暴走自転車はどうか。先に挙げたように、野放し状態ではないか。これは、日本人が自転車を自動車よりも重大に扱ってない証拠だ。これが間違っている。自転車は自動車よりも優れた、重要な乗り物なのである。大きな大会がたくさん行われたり、自転車の速度世界記録がレギュレーションの違いで150km/hか250km/hかで議論がある欧米と違い、日本人は自転車を重大に見ていない。その結果、にわか自転車ブームが起き、大きな事故が起き、たくさんの人が怪我をしたり死んだりしてはじめて、どうしようかと騒ぐのだ。
そうして騒いだ後に、できあがったルールというものがまた世界の技術水準や思想水準から立ち遅れたものになると想像されることも恐ろしい。もっと自転車を重大なものとして扱わないと、日本は世界から取り残されるのは間違いない。
俺にとっての自転車は、家族であり、ふるさとであり、日本そのものであり、天皇をはじめとする歴史であり、どっかの田舎の風景であり、国体そのものであるのだ。宗教とかスポーツとかそんなチャチなものじゃない。身体の一部というより、脳そのもの、もっと言えば世界そのものなのだ。
(GIGAZINEより)中国文化とドイツ文化を絵で比較するとこうなる
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071109_chinesevsgerman/
移動手段。1970年頃:ドイツは車、中国は自転車。現在:ドイツは自転車、中国は車。
http://gigazine.jp/img/2007/11/09/chinesevsgerman/chinesse-german-culture16.jpg
これを見ても判るだろうが、欧米から「日本は中国程度の国」と、思われないようにしなくてはならない。